1914年(大正3年)~1946年(昭和21年)
花月園遊園地

1950年(昭和25年)~2010年(平成22年)
花月園競輪場

2025年(令和7年)横浜公園都市構想
駅前×住宅一体開発・防災公園街区整備事業×全279邸

花月園の土地のあゆみ
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1914年(大正3年)~1946年(昭和21年)
1914年(大正3年)、新橋の料亭「花月楼」の主人・平岡廣高によって花月園は開園しました。園内には、観覧車やメリーゴーランド、豆汽車といった当時最先端の遊具に加え、大山すべりやボート池、つり橋など、自然の地形を活かしたアトラクションが数多く設けられ、多くの人々の人気を集めました。敷地面積はおよそ7万坪(約23ヘクタール)──東京ドーム約5個分にも及ぶ広大な土地には、動物園や室内スケートリンク、大運動場まで備えられていました。「西の宝塚、東の花月園」と称された花月園少女歌劇は、華やかなステージで観客を魅了し、当時の子どもたちにとって憧れの存在でした。また、花月園は日本におけるダンスホール発祥の地としても知られ、子どもから大人まで、幅広い世代が楽しめる総合娯楽施設として、一時代を築きました。
横浜開港資料館所蔵 写真提供:鶴見歴史の会 -
1950年(昭和25年)~2010年(平成22年)
1950年(昭和25年)、戦後の経済復興を目的として公営競技場
「花月園競輪場」が花月園遊園地の跡地に開設され、長年にわたり地域の娯楽施設として親しまれてきました。 -
2015年(平成27年)
防災機能を備えた大きな公園と、新しい住宅エリアを一体で整備する「鶴見一丁目地区計画」が動き出しました。
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2021年(令和3年)
鶴見花月園公園が開園。
防災機能と地域交流を担う新たな憩いの場に。鶴見花月園公園 徒歩5分 -
2024年(令和6年)
およそ10年にわたる開発を重ね、防災公園と一体で整備されてきた住宅地「鶴見一丁目地区計画」が完成。
地域とともに育んだまちづくりが、未来の暮らしの舞台になります。 -
2026年(令和8年)
「プレミスト鶴見花月総持寺ステーションフロント」誕生予定。
この地の記憶と未来をつなぐ、新たな暮らしの拠点として誕生。外観完成予想CG

イメージイラスト
歴史と未来が交差する駅前生活

ここは、かつて「東の宝塚」と称された花月園遊園地の玄関口。100年前、歓声ときらめきが溢れていたこの街は、今、広大な公園と穏やかな暮らしを紡ぐ住まいへと進化しました。2020年、駅名は「花月園前」駅から「花月総持寺」駅へ。それは、悠久の祈りを受け継ぐ曹洞宗大本山・總持寺への敬意とともに、地域の記憶を未来へつなぐ、新たな一歩の象徴でもあります。ここにあるのは、賑わいと静けさ、信仰と文化、過去と未来が重なる場所。そのすべてを受け止め、暮らしの物語を優しく包み込む住まいが、今、誕生します。
「花月総持寺」駅【元・「花月園前」駅】

(提供:京浜急行電鉄株式会社)
- 開業
- 1914年(大正3年)に京浜電気鉄道(現・京急本線)の駅として開業。
- 由来
- 「花月園遊園地」にちなんで名づけられました。
- 駅名変更
- 2020年(令和2年)3月、地域活性化の一環として「花月総持寺」駅に改称されました。
- リニューアル
- 2026年3月工事完了予定
地に歴史あり。
百年を継承し、未来につなぐ。
100年以上前から、この地は水辺ではなく陸地として存在していました。
都市開発による埋立地とは異なり、もともとの自然地盤が今もそのまま生きています。

