本が持つ紙のぬくもりや手触り、ページをめくる感覚――書籍のデジタル化が進んだ今でも、
「本に囲まれて暮らしたい」と考える方もいるのではないでしょうか。
今回は、「本との出会い」「本のある暮らし」をテーマにした宿泊施設「箱根本箱」や
文化を喫する入場料のある本屋「文喫」などを手がけたプランニングディレクターであり、
4児の父としてプライベートでも本のある暮らしを実践する染谷拓郎さんにインタビュー。
本と共に過ごす豊かな時間を形にした「箱根本箱」の空間づくりの工夫から、
家族と本が自然につながる暮らし、そして、
本と心地よく暮らす住まいづくりのヒントを教えていただきました。
Profile

プランニングディレクター
染谷 拓郎さん
2009年に日本出版販売株式会社(日販)入社。2022年より株式会社ひらく代表取締役社長。そのほか、箱根本箱を運営する株式会社ASHIKARI代表取締役を兼務。これまでに「箱根本箱」「文喫」「BOOKS&TEA 三服」など本に関連した企画プロデュース、事業開発、サービス設計を行う。
約1万2,000冊の本に包まれる旅先。
「本のある暮らし」に出会える場所、「箱根本箱」
――染谷さんは「本に囲まれて、『暮らす』ように滞在する」というコンセプトで話題となったブックホテル「箱根本箱」のブックディレクションを手がけられました。まずは、そのような空間づくりに至った背景を教えてください。
今の生活では、本を手に取ってゆっくりと読書をする時間を取るのが難しくなっていますよね。だからこそ「本があることで日常が少し豊かになる」そんな感覚を思い出してもらえるような場所をつくりたいと考え、もともと日本出版販売の保養所だった施設をリノベーションし「箱根本箱」が生まれました。
――箱根本箱のブックディレクションを行うにあたり、特にどのような点にこだわられたのでしょうか。
まず大切にしたのは「自然に本を手に取りたくなる空間」をつくることでした。

例えばこちらは1階のラウンジです。正面には自然の風景が広がる大きなガラス窓を、左右の壁面にはずらりと本棚を配し、まるで本棚の中に入り込んだような感覚を味わえる設計にしました。本のジャンルも、単に分類するだけではなく「衣・食・住・遊・休・知」という6つのテーマを軸に、「衣食住」という身近なテーマから、階段を上がっていくにつれて、遊ぶ・休む・知るといった「遊休知」へとテーマがグラデーションしていくような仕掛けを施しました。本を通して、日常から非日常へ、心がそっと移り変わっていくような体験を選書に込めました。
ラウンジでは深夜まで読書を楽しむ方も多く、それぞれが数冊の本をテーブルに重ねて、広い空間の中で一人一人が思い思いに読書に没頭する姿が印象的です。でも、どこかに「一人じゃない」という気配も感じられるこの空間は、私にとってもお気に入りの光景です。
――本と過ごす時間に集中できるよう、客室など至る所にユニークな仕掛けがあるそうですね。
はい、例えば客室にはテレビや時計を置かず、代わりに全室に温泉露天風呂と「あの人の本箱」と呼ばれる本棚を設けています。この本棚には、文筆家や建築家など、さまざまな著名人がセレクトした本が並べられています。私たちの知識や興味というものは、自分が思う以上に偏りがあるものなので、誰かのおすすめ本といわば強制的に出会う空間をつくり、自分では普段手に取らないような一冊との偶然の出会いを楽しんでもらえたら、と思い採用しました。


さらに館内には、さまざまな場所におこもりスペースが点在しています。こちらのスペース(左写真)には、生前に谷川俊太郎さんが滞在された時にこの机で書き下ろした詩のレプリカがディスプレイされており、この詩はここでしか味わうことができません。
また、館内のラウンジや客室には宿泊者が自由に手紙を書くことができるよう、ホテルオリジナルの便箋と封筒を用意しています。スタッフ宛てにメッセージを書いてくださる方もいれば、ご自身の宿での体験を手書きで残される方も。本を読むだけでなく、「書く」という行為に自然と誘われる。そんな舞台装置にもなっているようです。
本棚のある暮らしが育む、家族との時間
――読書好きにとって「箱根本箱」は住まいづくりのヒントがたくさん詰まった空間とも言えそうですね。他にも数々の「本と人をつなぐ空間」を手がけてこられましたが、ご自宅では、どのように本と向き合う空間をつくられているのでしょうか。
わが家はまだ賃貸なので思い通りの空間というわけではないですが、リビングの中心に大きな本棚を2つ、さらに子どもたちの絵本をしまう背の低いブックラックを3つほど置いています。子どもたちが手に取りやすいよう、床にも本を並べていて、「本が自然と目に入る環境」を意識しています。
私も妻もテレビをあまり見ないのでテレビは置かず、代わりに本や絵本、折り紙や鉛筆、ハサミなど、「自分の手を動かして遊べるもの」を中心に置いています。

(左)リビング中央には大きな本棚、(右)床には子ども用の本が並ぶ。使い方1つでいろんな場所が本棚になる好事例。
――テレビを置かず、手を動かすものを中心にされているのは、何か意識されてのことですか?
本も折り紙も、自分の手を動かさないと物語が進まないですし、形になりませんよね。テレビやスマートフォンに比べると、主体的になれる。そうした子どもの想像力や探究心が自然とかき立てられるような、能動的になれる環境を用意してあげることを大切にしています。
――そういった環境の中で、お子さんたちはどのように本と過ごされているのでしょうか?
わが家は7歳、5歳、4歳、1歳の4人の子どもがいますが、下の子たちとは一緒に絵本を読んだり、上の子たちはもう自分で本が読めるので、自発的に興味のある本を図書館で探してきて読んでいます。
寝る前には、家族で川の字に寝転びながら順番に読み聞かせをするのが日課です。子ども4人の育児は毎日バタバタですが(笑)、この時間は家族みんなのつながりを感じられる、かけがえのないひとときです。
また2週間に一度は、家族で図書館に出かけ、家族それぞれ借りられるだけ本を選んで両手いっぱいに本を抱えて帰ってくるのも、わが家らしい風景になっています。
――自然と本が暮らしに溶け込んでいる様子が印象的です。時には図書館を活用しながら、とのことですが、それでも日々本は増えていくものですよね。染谷さん家では、限られたスペースの中でご自宅の蔵書をどのように管理されているのでしょうか?
家のスペースには限りがあるので、増えすぎたら循環させるのがルールです。「なんとなく本棚がごちゃついてきたな」と感じたときが整理のタイミング。
その際、私の場合はその本ごとに最適な「次の場所」を考えるようにしています。近所に古書店があり、「この店のお客さんに刺さりそうだな」と思う本はそこに持ち込みますし、ビジネス書のように多くの方に読まれやすい本はオンラインの買取サービスを利用することも。状態の悪い本は思い切って処分します。
本に限らず、愛着が持てるモノの数は限られていると思います。今の自分にとって必要か、そうでないかをこまめに取捨選択して絞り込んだ方が、本への愛着はより増す気がしています。
「読書の場」をつくる、住まいづくりのヒント
――数年後にご自宅を建てる予定だと伺いました。読書空間について、今、構想されていることはありますか?
住まいは家事などを行う「動」のエリアと、寝たりくつろいだりする「静」のエリアで成り立っていると思いますが、基本的に本はリラックスできる「静」のエリアに置くのが良いのかなと思っています。そう考えると、必然的に本の置き場はリビングと寝室になるでしょうか。廊下、トイレなど「家じゅうのちょっとした場所に本をちりばめる」というアイデアもありますが、やはり集約されていた方が手に取りやすく、「読書モード」に入りやすい気がしています。
――「読書モード」に入りやすい空間とはどんなイメージでしょうか?
箱根本箱のラウンジにも通じますが、パブリックな空間で人とつながりつつ、プライベートがほんのり守られているような場所ですね。人は個室に籠もるよりも、ある程度の人の気配やノイズがある方が読書や作業に集中しやすいものです。なので、家族が集まるリビングやダイニングは広く開放的にしながら、その中に個々で読書や作業ができる小さな居場所が点在している、そんな空間がいいなと考えています。
例えば、家族が同じリビングにいるけれど、植栽や棚の配置で視線をさりげなく遮ったり、窓側にベンチをつくって、背中を守る小さなスペースを設けたり。そのような工夫で、家族が集まる場所に快適な読書空間を点在させられるのではと思います。
――染谷さんご一家はお子さんが4人いらっしゃるとのことですが、お子さんの個室はどう考えていますか?
子ども全員に個室を与えるのは難しいので、今の家でもそうですが、4人の子どもたちには、各自にランドセルラックのような収納スペースを用意して、その中にランドセルや教科書、自分の大切なものを管理してもらう形にしようかなと考えています。
既に上の子は、自分だけが興味を持っている本などは専用ラックに大切にしまい、寝る前の読み聞かせで読む本は共通の本棚に、というふうにしまい分けているようです。子どもながらに、ラック1つでパブリックとプライベートの感覚を身につけているのだなと思うと興味深いですね。

また、新しい住居用に購入した農家住宅には母屋とトラクターが収まる納屋があるので、母屋部分は解体して住居として建て替え、納屋の方は改装して子どもたちの遊び場や作業部屋にする予定です。ただ、それだけだともったいないので、月に数回は、地域に開かれた文庫として開放しようと構想中です。地域に住む子どもや大人がふらりと立ち寄り、本が人と人をつなぐような、そんな場所にできたら最高ですね。
――最後に、染谷さんにとって「本と共にある暮らし」の魅力とは、どんなところにあると思いますか?
本のデジタル化が進んでいる今、紙の本にこだわり過ぎることはないと私自身は考えています。でも、お気に入りのものに囲まれて暮らすことは、日々の満足度を1メモリ上げてくれる気がします。私にとっては、その1つが本です。
自分で選んだ一冊、誰かからすすめられた思い出の一冊が、手に取れる場所にあるだけで、心がふっと整う。そんな時間や空間の積み重ねが、暮らしそのものを少しずつ豊かにしてくれるのではないでしょうか。
まとめ
染谷さんの言葉には、ご自身の暮らしの実体験やプランニングディレクターとしての活動を通じて見いだされた、「本のある暮らし」の豊かさや空間づくりのヒントが詰まっていました。
また、本と共に暮らす住まいをかなえるためには、収納量や読書スペースに加え、暮らし全体との調和も大切なポイントです。理想の形を実現するために、まずはあなたの思いをじっくり設計士に伝えてみてはいかがでしょうか。
※掲載の情報は2025年4月取材時点のものです。