大和ハウス工業株式会社

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[第14回ダイワハウス コンペティション]結果発表

審査委員講評

審査委員

青木 淳

「太っ腹な家」というテーマは幅広いテーマです。今の時代は不寛容な時代になっています。その中で家でどんなことができるのか、という根本的な問いにもなっています。それぞれの回答の仕方は異なっており、優劣のつけがたい作品ばかりでした。全体的にもレベルの高い案が揃っていたと思います。今回は模型が多くありましたが、模型からは思考の過程などさまざまなものが見えます。模型を見て、今回プレゼンしてくれた方たちはどなたも真摯に建築に向かい合っているのだと感じました。金暁星さんの案と勝山滉太さんの案は、都市的な環境として家を構想しつくしたところがおもしろく、河岡拓志さんの案は、設計の主体をアルゴリズムに埋め込む視点が秀逸でした。

審査委員

堀部 安嗣

力が入っていて真面目な提案が揃っていると感じました。しかし、綺麗なプレゼンテーションをつくることに注力しすぎていて、そこに至るまでの思考が成熟していなかったのではないかとも感じました。それは質疑応答の受け答えから感じられたのですが、もっと建築への考え方や向き合い方への議論の時間を増やしたほうがよいのではないでしょうか。その中で、最優秀賞の「太まち まちのような家」の仕事の圧倒的な量と色使いやドローイングの上手さ、造形能力に唯一無二のパワーを感じました。優秀賞の「Re:雨との共生」は人、建築の無力さについてさらに掘り下げられればもっとよくなったでしょう。「Manual Algorithm」は自動生成の結果の姿に、人には表現できない魅力が備わることを期待します。

審査委員

平田 晃久

「太っ腹な家」はどんどん非寛容になっていく社会の中で、そうではない価値を、真面目くさくない柔らかい言葉で表現した現代的なテーマだ と思います。どの案も柔らかく、しかし真摯に建築に向き合っていて、次の建築をつくるのはこんな人たちなんだなあと嬉しく思いました。また、今回は韓国からの応募もあり、これからも世界中から提案が増えていって欲しいと思いました。最優秀案は、「太っ腹」から「太巻き」を連想したある種のミスリーディングを、さまざまなシーンを豊かにインボルブしていくような、あまり見たことのない空間に昇華させていました。現代都市の成り立ちを根底から問うラディカルさと美しさを兼ね備えた優秀案も秀逸でした。

審査委員

南川 陽信

1次審査では、できるだけ同じようなものにならないよう、独自性が表れている作品を選ぶようにしました。そうして選ばれた作品はどれも優劣つけがたいものでした。今回の審査会では、模型の説得力をすごく感じました。1次審査のドローイングだけでは見えてこなかったことがプレゼンや模型によって明らかになり、評価が一変してしまう。毎年思っていることですが、模型に力が入っていた今年は特にそのことを強く感じました。最優秀賞の「太まち まちのような家」は模型によって具現化できていること自体にすごく強い印象を受けました。

大和ハウス工業賞 特別審査委員

村田 修

第9回から設けられた「大和ハウス工業賞」を授与するにあたり、当社のさまざまな設計部門の6名で審査を行いました。優劣のつけがたい非常に優秀な作品の数々だったと思います。私たちは事業として建築を扱い、法律やコストなど各種の規制・制約の中で仕事をしているので、今回の既成概念を打破するような「太っ腹」な作品群に大変な刺激を受けました。2018年は心痛む自然災害の多い年でした。そこで、自然にどういう形で向かい合っているかという観点で評価しました。建築においては、水(雨)をいかに早く外に出すかということを重視しますが、そうではなく水(雨)を受け止めて共生すると言うポジティブに転換した作品、「Re:雨との共生」を賞として選ばせていただきました。

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受賞作品

最優秀賞

金 暁星(フリーランス)

太まち まちのような家

太巻きをみんなでつくる風景を見て、「まち」の意味を学んだ。「まち」とは不完全な家同士がおのおのの価値を実現しつつ、その価値をほかの家と共有しているような状況。そこで、ひとつの家が、ひとつのまちになるような家を考えた。まずみちの範囲を太くしてそれぞれの生活が感じられて共有できる、定義されないみんなのための場所をつくる。みちに生活が感じられるようになったら、家自体はすべての機能を完璧にもつ必要がなくなり自由に考えることができるようになる。それぞれの家はそれぞれが重要だと思う機能を収めるようになる。お風呂が大きな家、庭があちこちにある家、本の多い家。家は都市にある銭湯や公園、書店、レストランのような人びとの集いの場所となり、まちは「ひとつの家」のようになります。さらに太くなったみちと家とが自然に繋がるように巻いていきます。すると、人びとの交流が生まれる。ひとつの家が、ひとつの街のようになる。
(プレゼンテーションより抜粋)

青木淳
いかに家ではなくまちのようにつくるか、まちではなく家のようにつくるかが具体的に考えられている。空間のイメージだけでなく、使われ方まで想定されていて、とてもよい案。
堀部安嗣
「考えるな、感じろ」というぐらい楽しい空間ができている。ドローイングや模型のつくり込みについても力量を感じる。太巻きを食べる時に感じる予期せぬ味の出会いのような偶然的な出会いが住宅で目指されていると感じた。
平田晃久
模型がつくりこまれていて空間性がよく分かった。これからの建築にはこの建築のようにさまざまな人やプログラムが織り込まれた「ごちゃ感」が必要になると思う。
南川陽信
ドローイングが綺麗で目を引き、ユニークでテーマをストレートに表現していて分かりやすい。巻いたことによる化学変化を感じれればさらによかった。

太まち まちのような家 <PDF:1.74MB>

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優秀賞 大和ハウス工業賞

勝山 滉太(東京理科大学大学院)

Re:雨との共生

雨が降った時に、見知らぬ建物の軒下で勝手に雨宿りができるように、雨は家を太っ腹にする。また昨今の自然災害の経験から、人間は再び雨と共生することを考える必要があるように感じる。そこで浸水危険地域の新しい建築の建ち方を考える。かさ上げ(盛土)、高床・ピロティ形式、防水の塀の3つの既存の水害対策の手法を組み合わせて、雨によって空間が変化する段々状のスキップフロアの形式とし、雨によって公私の境界線が変化する。1階の土間空間は雨の日にはカフェや地域の託児所などに利用され、パブリックな空間となる。都市において潜在的な存在である水を顕在化させ雨を許容することで、高密度な住宅街の風景は生まれ変わる。閉ざされていた敷地や住宅は、水という新しい境界線が作用し、雨のネットワークをつくる。
(プレゼンテーションより抜粋)

青木淳
コントロールされた暗さであれば暗さも魅力になる。窪地の魅力を生み出す、という点でとてもよい提案だった。
堀部安嗣
カンボジアの民家を思わせる、自然に対して建築が大らかに屈している。自然と共生するような新しい住まい方の提案にもなっている。
平田晃久
緻密に空間が考えられている。薄暗くとも光が射すと美しい空間性が現れるといった、ある種の快適性をもっている。
南川陽信
街全体として水のことを考える、ということのよさが感じられる。水を使ったことで生まれる住まいの魅力をより伝えられる仕掛けがあるとよいと思った。

Re:雨との共生 <PDF:1.91MB>

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優秀賞

河岡 拓志(東京理科大学大学院)

Manual Algorithm

千駄ヶ谷の街には多くの雑居ビルが建つ。雑居ビルはそこを使う人のことしか考えられていないケチな建築である。そこで、周辺建物を使う人、街を行く人が楽しくなることをまず最初に考える太っ腹な家を考えた。周辺に建つ雑居ビルのファサードを入力情報として、アルゴリズムによって半オートマティズム的に30戸の集合住宅を設計する。解には「街を楽しくすること」を設定。まず敷地に対してグリッドを設定し、街への圧迫感を考慮したルールによりヴォリュームを決定、決定されたヴォリュームに対して周辺の建物の素材、開口、機能を読み込むことでファサードを検討する。決定したファサードに合う室空間を配置し、連鎖的に集合住宅を計画する。
( プレゼンテーションより抜粋)

青木淳
アルゴリズムで設計すると何が変わるのかと、アルゴリズムの使い方、というふたつの面で提案されている部分が面白い。また、アルゴリズムと人間の関わり方にも触れられているのも興味深い。
堀部安嗣
今日的なテーマで可能性のあるアプローチだとは思うが、アウトプットそのものには魅力を感じない。
平田晃久
建築家がそこに身を置くことでできあがる半オートマティズム的な設計手法には共感は覚える。ただ完成した建築には疑問も残る。
南川陽信
「ケチな家」と「太っ腹な家」の定義は面白いが、周りを楽しくさせるアルゴリズムの可能性をもう少し見せてほしい。

Manual Algorithm <PDF:1.55MB>

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入選

石崎 竜一(TAKAOスタジオ)
牧内 恵里子(TAKAOスタジオ)

いつでもくらせる家

太っ腹でいられる暮らし。毎日が満たされて、いざという時も満たされて誰のものでもない自然の恵みを、あたり前に享受できる家。40代後半の夫婦と10歳の娘、2歳雑種犬メスが住む家を考える。いつでも暮らせるようにするため住宅の基本性能を重視する。耐震性能は壁充足率2倍で、制震ダンパー設置、日射遮蔽性能、断熱性能を高めることで大地震が起きても使い続けられ、少ないエネルギーで快適に暮らせるように、コンポストトイレに雨水タンクなど、電気、水、暖房、トイレを確保。充電ステーションが設置された庭先は普段から開放され地域の人の憩いの場となっているが、災害時には避難場所にもなる。
( プレゼンテーションより抜粋)

いつでもくらせる家 <PDF:1.28MB>

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入選

池野 雄貴(東京藝術大学大学院)

準動的装置と建築

工房・住宅・ギャラリーが入る彫刻家の工房を設計する。彼が使う「道具」や「機械」が目についた。彼の息づかいや鼓動など「身体」が「道具」や「機械」と呼応するような情景に美しさを感じた。そして、建築もまた環境と身体を結びつけるものではないかと考えた。人によって動作する他律的な道具や機械、建具などは「準動的装置」、人の目的・意志・思想によって型どられる建物は「静的装置」と言えるのではないか。扉や間仕切りなどにより伸縮する部屋、回遊する階段により「身体」と呼応し揺れ動きながら佇む「準動的装置と建築」を提案する。
(プレゼンテーションより抜粋)

準動的装置と建築 <PDF:1.19MB>

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入選

別所 匠(フジタ)
大石 剛(フジタ)
張 薇(フジタ)

小さな暮らしと新しい毎日

太っ腹、気前がよく他人に対して分け隔てのない寛大な人物を形容する言葉。それを家としての住空間を形容する言葉に変換すると、「プライベートとパブリックの中間領域が極限まで大きく、多様な人びとのさまざまな活動を許容する空間」と言えるのかもしれない。不特定多数の人びとが利用する路地や歩道橋などの狭い通路空間に趣味を媒介としたミニマルな住空間を提案する。他者との交わりが希薄となった今日、そこでは趣味を通した交流が行われ、今までとは違う新しい住まいのあり方を考えられるのではないか。
( プレゼンテーションより抜粋)

小さな暮らしと新しい毎日 <PDF:1.51MB>

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入選

笠原 優一(東京理科大学大学院)
原 麻名斗(東京理科大学大学院)
井手 希(東京理科大学大学院)
杉本 健(東京理科大学大学院)

稼穡(かしょく)でつながる住まい ─農業六次産業化と共にある暮らし─

練馬区・大泉学園では2020年以降、生産緑地の制度解除による農地売却が進み、宅地化が加速することでコミュニティの崩壊が危惧されている。そこで宅地化が予想される農地に対し、キッチンやリビングといった住空間の一部が街に開けた住まいを提案する。これらを核にこの地域で農業を六次産業化し、生産・加工・販売を一体的に行っていくことでこの街に築かれてきた農業のコミュニティを維持し発展させていく。稼穡とは種をまき、収穫すること。稼穡を通して田園的で土着的な風景に囲まれた暮らしを提案したい。
(プレゼンテーションより抜粋)

稼穡(かしょく)でつながる住まい ─農業六次産業化と共にある暮らし─ <PDF:1.94MB>

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佳作

高橋 国広(金沢工業大学大学院)

傘下の家 ─新土着的建築の風景─

自分の生活に支障をきたさない余裕、あるいは余剰がある範囲で、他者と関わり合える太っ腹という行為は生み出されると考える。敷地は富山県富山市の郊外の新興住宅地。北陸地方は積雪や自動車社会といった背景から、どの家にもカーポートや風除室、サンルームといった半屋外空間が設けられる住宅形式をもつ。これらは他者や自然・周辺環境と関わる余剰空間となっており、この住宅形式は無意識に太っ腹な状態をつくり出している。そこでこの形式を肥大化させることで、他者と関わりをもつための広場的余剰空間をもった新しい土着的建築を提案する。 (応募案より抜粋)

傘下の家 ─新土着的建築の風景─ <PDF:1.71MB>

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真崎 広大(九州大学芸術工学部)

動物愛の家

太っ腹な人には愛がある。愛とは、個々における異質性を感じ関心を抱くことであると定義されている。つまり、太っ腹な人は他人と価値観が異なる場合であったとしても、それがその人の良さであり、特性であると常に考えているのではないだろうか。こうした太っ腹な人の「愛」を題材として都市・家について考えた。現在の都市や家には動物に対する無慈悲さを顕著に感じる。人間以外の異質性をもつ動物が排除される状況にある。そこで人と動物が単に共生するのではなく、個々の特性に関心を抱き、ひとつの場の中で過ごす領域を与えるような家を考えた。(応募案より抜粋)

動物愛の家 <PDF:1.89MB>

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山本 瑠以(東京藝術大学大学院)

大壁が間引かれた家

他者を単なる来客ではなく、そのときの建主ではない次のまったく新しい住まい手やプログラムととらえる。これを受け入れて生き続けられる家が太っ腹な家といえるのではないか。そこで、一見すると邪魔に見える構造体を使いこなしていくような家を考える。現代の住宅は邪魔なものが少ないが故に、能動的に使いこなせない。ここで、現代建売住宅の凡例ともいえる「大壁構造」の構造用合板を部分的に間引くことで、身体的な手がかりをたくさん用意し、利用者の能動性を喚起する。(応募案より抜粋)

大壁が間引かれた家 <PDF:1.29MB>

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中村 篤志(千葉工業大学大学院)

欲望に暮らす植木鉢

家というのは住人たちの欲望を満たすために、より強固になり周囲とは切断的な建築になっていった。そのように暮らしが内に閉じていった変化は、しっかりと受け止めなければならない。この家は、住人の活力や欲望を、植木鉢の余剰水分のように、周りに流し込んでいく。「1住戸=1世帯」という枠組みを見直し、自分の欲望を阻害されることなく満たし、周囲に影響を与えていく家を提案する。 (応募案より抜粋)

欲望に暮らす植木鉢 <PDF:1.27MB>

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成本 匠(法政大学大学院)

しぜんのコ

太っ腹とは他者に対して何かを一方的に提供すること。現代社会には、他人との違いを窮屈に感じさせてしまう不寛容な現状が少なからず存在する。その時、建築における「太っ腹」な状態は私たちに現状を変える「自由」を与えてくれるのではないだろうか。そこで、建築のソフト(プログラム構成)とハード(生活空間の構築)の両面からの枠組みを提案する。ソフト・ハードに対してフレキシビリティのある枠組みを設定し、生活者が自らの生活空間の部分集成と自動更新を繰り返していくことで、時間の経過によって個性が形成されていく集合体としての建築を考える。 (応募案より抜粋)

しぜんのコ <PDF:1.49MB>

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長谷川 健吾(フリーランス)

Borderless is more 建具がびっしり建ち並ぶ家。

住まいにおける太っ腹とは、私的な自身のテリトリーが他者に侵されるのを許容することである。その太っ腹さは度合いで推し量るため一定にはならない。つまり許容度はその都度変化する。この住宅は建具の開閉で屋内外の面積範囲がその都度変化する。室の床すべてが引戸レール(184本引のサッシ)でできている。開口方向が何重にも連なる引戸建具でびっしりと詰まっていて、小口も壁面として機能する。建具の重層で屋内と屋外(軒下)に二分され、その割合は変化する。次第に雨宿りなどに使われ始め、住人も気にしなくなる。街には太っ腹な家だなと思われるようになるだろう。ともあれ余計な費用がかさむこんな住宅を建てようというひとは、太っ腹に違いないけれど。 (応募案より抜粋)

Borderless is more 建具がびっしり建ち並ぶ家。 <PDF:1.09MB>

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矢加部 翔太(法政大学大学院)
野藤 優(法政大学大学院)

隙と妖怪

いま、私たちは人間にしか恐怖を抱かない。かつての日本の家には妖怪が現れた。それは風や光、湿度や温度などの自然環境を受けやすい建築の「隙」がつくり出した心象風景であった。あるいは、本当に姿かたちを見せたのかもしれない。現代の技術によってつくられた家は、気密性の高い温熱環境と十分すぎる気積と機能に満たされている。そんな「隙」のない建築には人びとの虚像は描かれない。この提案は、恐ろしくも親しまれてきた妖怪たちが好むような場所を空間・構法的につくり出す。妖怪を受け入れることは、家への愛着と自由を生むだろう。(応募案より抜粋)

隙と妖怪 <PDF:1.20MB>

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池田 光(日本大学大学院)

旅する賃貸住宅

空室率の増加、サブリースというシステムなど建設費を払ったオーナーが大きなリスクを背負う問題が増えてきている。そこでオーナーが建設する「太っ腹コア」と各会社が提供する住戸ユニットを居住者が賃貸するかたちにすることで、オーナーの負担を軽減する。居住者はコアが建てられている場所であればどこでも引っ越すことができ、コアとユニットの組合せでさまざま暮らしが可能となる。 (応募案より抜粋)

旅する賃貸住宅 <PDF:1.48MB>

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鈴木 翔之亮(フリーランス)
長谷川理子(東京理科大学大学院)

バス停のある家

住宅地での生活を支えるバス停の待合空間に快適さと待つ時間に付加価値を与える。住宅地でのバス停を道の脇へと追いやるのではなく家の前がステーションという都市環境を用いて家のようなバス停、バス停のような家を提案する。待つ行為を通して多様な待合部屋を家とバス停の相互に連節させることで敷地内での過ごし方の時間に個性が生まれる。このバス停を利用する家主、住民は並ぶことをやめ思い思いの待ち方をする。緩やかに地域へと還元されていく「太っ腹さ」を兼ね備えている。 (応募案より抜粋)

バス停のある家 <PDF:1.29MB>

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名畑 碧哉(フリーランス)
小野 里紗(フリーランス)

わたしの小さな棚は、マチの大きなアートとなる。

既存の賃貸住宅では貸し手と借り手という関係が固定化され借り手は「住む」行為のために住宅を借りている。そこで貸し手と借り手という固定化されている構図が常に入れ替わる賃貸建築を豊島区に提案する。過去に多くのアトリエ村が点在しており、人びとが集住していた豊島区で多文化との交流や自身の作品を発信できるようにするため400×400mm、800×800mm、800×1,200mmの棚を設け、入居者の個性をすべて受け止め空間を彩り、自身を発信するツールとして使う。分散している個性同士を繋ぎ、街へと文化を発信する太っ腹な建築。(応募案より抜粋)

わたしの小さな棚は、マチの大きなアートとなる。 <PDF:1.20MB>

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第14回ダイワハウス コンペティション