ダイワハウスコンペティション告知ページ
青木 淳
コンペには、考えたこと、批評性、かたちをもったものとしての提案内容など、いくつかの審査基準がある。最優秀賞の「湿潤にほころぶ」は、批評性という点でこのコンペを突破した。面白いことを考えているのに、着地点にうまく辿り着いていないというもどかしさもあったが、その可能性を評価できたことはよかったと思う。1次審査通過の7作品を決めた段階では、どの案もいろいろな可能性を秘めていると思い、2次審査ではそれを発展させられるか、と期待していた。さまざまな議論を重ねたが、物的な面でも思想的な面でも、もう一段精度を上げる努力をしてほしかった。ただ、難しいテーマに対して多様な切り口の提案が集まったので、意味のあるコンペになったと思う。
堀部 安嗣
この2年間はコロナ禍で、みなさんが実体的なものや「体感」から遠ざかっていた時期だった。ゆえに、みなさんの五感六感への希求が表れた作品が多く、その点ではこのテーマでよかったと思う。実体的な体感がなくなると、バーチャルな方向性での提案が増えると考えていたが、そうではなかった。私たちにはもっと原初的で動物的なアンテナの感度を上げることができるのだ、ということを表現してくれたことを嬉しく思う。同時にあまりにも「ものを知らない」作品が多かった。建築を志す学生の表現としては稚拙すぎる。建築教育の劣化を痛切に感じた複雑な思いを残すコンペだった。
平田 晃久
「湿潤にほころぶ」が、最優秀賞と大和ハウス工業賞をダブル受賞したのは印象的だった。現代の建築は、性能という観点では高い完成度をもつ。しかし何のぶつかりもなくただ穏やかな人間関係が心の交流を生まないように、何不自由なく快適な空間に、人は触れ/触れられることはできない。人間は根源的にある不完全さ、放っておくと不快になるような何かと触れ/触れられながら生きる存在なのではないか。「湿潤」によって綻びた家を描き出したファンタジーは(建築的な詰めの甘さにも関わらず)、そんな切実な問いを投げかけていた。「人の言葉に触れる家 家の言葉に触れられる人」は、落語的ユーモアを感じさせる言葉を丁寧に建築化した提案で、最後まで1等を争ったが、湿潤ファンタジーがもつ問いの深さに軍配が上がった。示唆に富む議論だった。
小堀 哲夫
「触れる」、からイメージされることは、領域を広げるということ。触れられる範囲をどう拡張したか、ということが今回のテーマで重要な点だった。触れていないからこそ考えさせられることもあるという意味では、「湿潤にほころぶ」は遠くまでボールを投げることができた提案だったと思う。人間同士の触れ合いをデザインするのか、それとも世界と触れ合う提案をするのか、どの案もそれぞれの切り口で分かりやすくプレゼンしてくれた。建築は、領域をつくることで、触れていない世界を見せることができるもの。みなさんがそうした挑戦をしてくれて、楽しく審査できた。
南川 陽信
2次審査では、1次審査で想定していたプレゼンよりも、遥かにクオリティの高いものを見ることができた。「気配が溜まる中庭」は、1次審査から僅か1カ月足らずで高密度の模型をつくり上げていた。それに、少し手を加えればすぐに実現できる、という点でも評価した。テーマの選定にあたって、審査委員の方がたには苦労いただいたが、コロナ禍の今、こうした広いテーマに取り組んでもらうにはよい時期だと思う。今回で審査委員を務めるのは6回目だが、模型の精度が上がっていて、力作が増えている。これから建築に携わる中で、今回のコンペの経験を踏まえてがんばっていただきたい。
岡田 博文
2次審査に進んだ作品は、切り口が面白いものばかりで、大和ハウス工業賞の選定にあたっては票が割れた。中には実現性のある案もあったが、最終的には「湿潤にほころぶ」を選んだ。現代社会において、われわれは高性能を目指して建物をつくっているが、今回のテーマにおいては、便利な建築をつくっても、逆に孤立してしまいがちになる。そうではない建物、機能だけを追求しない建物が、逆に人を育てる、たくましくするということに気づかされたという点で評価した。今の時代、環境配慮という点からも可能性を秘めた案だと思った。
審査員を囲んでの集合写真
最優秀賞/大和ハウス工業賞 湿潤にほころぶ
最優秀賞/大和ハウス工業賞 湿潤にほころぶ
優秀賞 人の言葉に触れる家 家の言葉に触れられる人
優秀賞 気配が溜まる中庭
入選 触れられる家 Reachable Home
入選 厚情のパース
入選 “Light” House
入選 壊われかけた砂時計
白熱のプレゼンが行われました
白熱のプレゼンが行われました
大和ハウス工業賞審査委員及び立会人として、弊社社員も参加しました
総評
総評
授賞式
趙 思嘉(多摩美術大学)
青木 美羽(多摩美術大学)
伊藤 さくら(多摩美術大学)
鈴木 あかり(多摩美術大学)
熱帯雨林では万物が相互に関係し合い、一見悪影響と思えるものごとも含めて生き生きとしている。家にこの熱帯雨林の関係性を取り込んでみる。四谷駅から歩いて10分ほど、神社裏の住宅群の40年後の姿を表現する。床や壁、土や植物、この家を取り巻くさまざまなものが湿度に影響を受けるのと等しく、私も湿度に影響を受ける。風呂場の窓に結露がたまり、窓枠を腐らせる。腐食は次第に広がり、壁に穴を空ける。穴の空いた壁は外に湿度をこぼす。湿度は土地を潤し、植物を育て、庭をつくる。年月が過ぎると、徐々に隣家の壁が雨により腐食される。壁に穴が空き、入り込んだ雨が隣家の寝室の畳を蝕む。隣家の住民は私の家との間に寝室を拡張し、双方の家が輪郭を失い始める。年月によって変化した家に住み、その変化に対して自分も変化する。触れることは自分が世界の一部として取り込まれることだ。湿潤は輪郭を溶かし、所有者を曖昧にする。湿潤によって溶かされた領域の中で生活する生命は独占するという考えを失う。その状態になった時、私たちは価値がなければいけないという現代的な不安を捨てることができる。
( プレゼンテーションより抜粋)
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髙橋 雅人(齋藤和哉建築設計事務所)
小山田 陽太(東北工業大学大学院)
武田 亮(東北工業大学大学院)
山崎 健太郎(東北工業大学大学院)
触れるとは、相手に歩み寄りながら、心の境界線を探り、静かに触れることだと考える。その手段として、人間は言葉を扱う。言葉のもつ力を家を通して考える。第1種低層住居専用地域の木造2階建てを対象とし、言葉の意味を超えて、日常のものごとを表現する慣用句を空間化する。慣用句によって変貌した空間が家中を駆け巡り、それぞれが会話をするように関係をもつ。平面、断面的に会話が錯綜し、躯体やエレメント、仕上げを横断しながら、家の言葉として人に語りかける。これは人の言葉に触れたことで生まれる新たな家の言葉であり、この言葉を扱い、家は人へ諧謔的に語り返す。人の言葉と家の言葉、互いが気持ちの境界線を探り合い、両者の言葉を介して繋がる。そんな言葉が溶け合うようにして生まれた関係から、言葉を超えて実際に人と家が繋がることができる。これからの時代の、触れて触れられる家だ。
( プレゼンテーションより抜粋)
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兵頭 璃季(早稲田大学大学院)
実空間の価値は、多様な他者との距離感があることにある。そこで、ひとつの大きな中庭を共有する集合住宅を提案する。敷地は練馬区大泉学園町。通路、部屋、ベランダが明確に分けられた従来の集合住宅の形態を分解し、住戸間に隙間を設け、通路とベランダを一体化する。住戸を円状に配置して中庭をつくり、上部階を外にずらしながら積層することで、各住戸の周囲に余白空間を設ける。中庭では、中央にある菜園での作物のおすそわけなど、さまざま活動を促す。通路の奥まった部分では映画鑑賞などの趣味の活動、開けた部分では卓球やDIYなどが展開され、歩くだけでさまざまな気配が感じられる。大きな中庭、余白空間を設けることで、多様な他者との繋がり方を許容する新しい家のあり方を提案する。
( プレゼンテーションより抜粋)
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周 諾雅(フリーランス)
「家、ついて行ってイイですか?」という日本のテレビ番組を見ていると、社会との接触を拒む人たちが目についた。部屋は散らかり、家は彼らの社会からの避難所というより、社会への障壁となっていた。殻に閉じ込められている人たちのために、触れて触れられる家を設計する。一般的な日本の住宅は、廊下が各居室を繋ぐが、この廊下が社会を拒む人とほかの部屋との距離を遠ざけている。そこで、廊下と各居室を一体的にし、さまざまな機能をもたせたユニット建築を提案する。外部に対して平行に配置し、接点を増やすことで人や自然との触れ合いが生まれる。
( プレゼンテーションより抜粋)
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安達 慶祐(法政大学大学院)
石井 冴(法政大学大学院)
田伏 莉子(法政大学大学院)
触れて触れられる家を考えるにあたり、私たちは目の見えない夫婦を主人公にした。彼らの家を考えることは、視覚以外で空間をとらえる試みであり、それは目の見える人に対しても新たな世界を提示してくれると考えた。目の見えない人は、他者に触れることでその状態を把握する。触れられる面積を増やすため、住戸を筒状に変化させ、多様な境界をつくることで、全体が人びとの触れ合いで彩られる。他者の行為が目に見えなくても、常に感じられる。他者の行為が生活の一部となり、また自分の行為が他者の一部となる。触れて触れられる、それは人が優しさをもって他者の感性に触れることで、新たな世界に気づくことだ。
(プレゼンテーションより抜粋)
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福岡 優(京都工芸繊維大学大学院)
北條 太一(京都工芸繊維大学大学院)
佐藤 拓哉(京都工芸繊維大学大学院)
かつて灯台には、灯台守がいた。灯台守は、明かりを灯すことで船舶に情報を伝え、航海を手助けしていた。そこには、灯火を介した船乗りと灯台守の無言の対話が存在していた。灯台が無人化された現在、目が見えない人のための住宅として設計し直し、かつて灯台が有していた人と人との関係を見つめ直す。昼は太陽に照らされ、影も動く。夜は灯台自らが太陽となり、直下に影を落とす。このふたつの光を頼りに、昼の家と夜の家に分ける。灯台を中心に楕円平面とし、住人は時間に応じて光を頼りに移動し、1日でこの楕円軌道を1周する。光と陰に導かれるように暮らし、住人が建築に語りかけ、建築が応答する、触れて触れられる家のあり方だ。
( プレゼンテーションより抜粋)
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石井 冴(法政大学大学院)
矢加部 翔太(竹中工務店)
私たちはそれぞれの時間感覚をもっている。自身の時間感覚に従順に暮らし、ルーティンに支配された生活から脱却する住宅の設計を試みる。日常生活の中で他者の時間感覚に影響されることがある。集まって暮らすことは、他者の時間感覚に触れ、自身の時間感覚も触れられているということ。上階の寝室から1日のはじまりを迎え、下階に向かって暮らしが展開される螺旋状の建築を提案する。時間感覚の触れ合いを増やすように、くぼみのような空間を散りばめ、そこに植物の成長や雨水のたまりなどが感じられる操作を施し、生活の中で時間を感じられる空間をつくる。それは、自身の時間感覚を相対化し、微調整するきっかけとなる。
(プレゼンテーションより抜粋)
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重野 雄大(東京都市大学大学院)
触れるとは、人やものが他に影響を与える、また関係をもつということだ。暮らしの中では、家と周辺とのやりとりがそれにあたる。周辺を住宅に囲われた旗竿敷地。間口2mで接道部分からは家の全体像が見えない、7つの敷地に隣接している。周辺からの見え方、向かい合う家との関係性、機能からファサードを立ち上げると、ファサードは空間化していく。7つのファサードが誕生し、中心の無垢なヴォリュームを包み込む。ファサード同士は接続し合い、それらは人にも触れられる。ファサードたちの触れ合い、人とファサードの触れ合い、人と人の触れ合いを感じられる家。(応募案より抜粋)
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Lim Boonhau(Studio PLiZ)
Zeng Yucheng(フリーランス)
Pyaezone Aungsoe(フリーランス)
人間は最初にこの世界に現れた時、裸だった。人は裸になって素肌を周囲にさらす時、肉体的には世界と親密になり、精神的には敏感で、無防備になる。文明社会において、裸での行動は風呂場に限定されている。そこで、リビングから風呂場へと向かう回廊を延長し、裸の時間を生活に溶け込ませる空間を提案する。風呂場に向かうまでに、衣服を着た状態から徐々に露出度を高めながら、楽器を弾いたり、芝生の上でストレッチしたりし、自然に対する認識を高めていく。隣人の足音や水の音も感じられ、間接的な交流ができる。(応募案より抜粋)
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