大和ハウス工業株式会社

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[第19回ダイワハウス コンペティション]結果発表

審査委員講評

審査委員長

青木 淳

今回は、賞選びにいつも以上に意見が分かれました。これはテーマが難しかったからというよりも、20年後ということに対して、さまざまなアプローチがありえるからで、提出する側もその選択に迷っただろうし、評価する側もそのクライテリアの選択に迷ったからです。考える対象を指し示すだけの課題であり、それに対して、さまざまなアプローチの仕方とそれへの建築的回答が提案され、それを評価するクライテリアを探るという議論になったことは意義深かったと思います。20年後に私たちの住環境がどうなるかについては、20年後にならなければわかりません。そんな中で、未来予測そのものの正誤、将来への希望や好みの良し悪しではなく、ある程度の蓋然性を持った未来像が仮説され、そこから建築としての思考と展開があって、その仮説が試されるということがしっかりと行われた案に評価が集まりました。このコンペを通して、ある程度先のことを考えることが建築において重要であるということを改めて問えたのではないかと思います。

審査委員

堀部 安嗣

今回のテーマは難しかったですし、自分だったらどういうものを提案しようかという答えがなかなか見つからないテーマだったと思います。1次審査のときから今年は難航するなと審査委員のみなさんと話していた通り、2次審査でも甲乙つけがたい非常に難しい審査が続きましたが、無事に最優秀賞が選ばれてほっとしています。20年後のことは誰もわからない中で、リアルとファンタジーが入り乱れたと思うのですが、こういったアイデアコンペでは、そのリアルとファンタジーのバランスや折り合いのつけ方が重要だといつも思っています。もし次回もチャレンジできる機会があれば、もう一度トライしてください。

審査委員

平田 晃久

20年後は未来なのですが、でもある程度は予測できそうな不思議な未来です。その20年をどのように捉えるか、いろいろな提案がありましたが、それぞれに考えさせられる内容があったと思います。僕は20年ぐらい前に独立しました。その頃につくった建築が、20年後に対してどのような投げかけをしていたのだろうかと改めて考えさせられました。ただ、今自分がつくっている建築は、20年前の考えをもう一度掘り起こして設計することもあり、過去と未来の自分に問いかけながら建築を考えていると思っています。今日受賞された皆さんと、20年後に再会して、20年後は実際どうなったんだろうという話ができると素晴らしいと思います。

審査委員

小堀 哲夫

コンペに応募された多くの方が20代だと思います。ですから、ご自身が生まれてから現在までの歳月が、実感できる20年なのではないでしょうか。今回面白かったのは「20年後へ」という未来を考えるコンペなのですが、昔のことを考える方が多かったということです。今を考えるということはおそらく未来と過去を天秤にかけることだと思います。ですから応募案の中には、これは過去の提案なのか未来の提案なのかというのが提案の中でわからなくなったものもあり、たとえば未来の話だけど遠い昔話みたいな、そういう不思議な創造力がたくさん見えて興味深かったです。「20年後へ」というテーマから、モノも人間も社会も新しいことを考えつつ、過去も振り返らなければならないということを改めて考えさせられました。

審査委員

八田 哲男

このダイワハウスコンペティションが来年に20回目を迎えるということもあり、「20年後へ」というテーマを選びました。当初は突拍子もない提案が多いのではないかと思っていましたが、20年後を真剣に受け止めた、現実的なものがたくさんあり、建築業界を担うみなさんの考え方に共鳴したと同時に、若い方たちの発想に安心するものがありました。私が建築の設計を志したのが20歳の頃ですが、その時に、みなさんのような提案ができたのかと考えると、本当に尊敬しています。ぜひこの業界を盛り上げ、設計を楽しんでいただき、20年後、素晴らしい建物を残せるようになっていただきたいと思います。

大和ハウス工業賞特別審査委員

谷川 靖洋

20年という期間は短いようで長いようで、さまざまな捉え方をされたと思います。それにより、われわれもさまざまな提案を拝見することができ、楽しく審査をさせていただきましたが、審査は難航しました。今回の「大和ハウス工業賞」は、辻本さんと田村さんの「上下するクラシ」を選出しました。昨今、問われている都市部の土地の活用に対して、素直な感性で提案されていたということと、このような空間を住い手が望んでいるのではないかと思ったからです。都市の中で限られた土地を有効に活用することと、住まい手にも受け入れられやすい提案であり、いますぐにでも当社としても欲しい技術、住まいであるという部分でも評価いたしました。

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受賞作品

最優秀賞

秋谷 匠太朗(東京藝術大学大学院)

パーキング

古いをつくることについての社長の証言 株式会社ヴィンテージ 社長へのインタビューより(前略)例えば古い住宅を一軒、新しく建てるとします。もちろん古く見えるかもしれないけど、隣に住んでいるひとはそれを新しいと知っているわけです。古いっていうのは表面上の問題ではないんです。で、私は気づいちゃったわけですよ、本物をつくればいいじゃないかってね。ただ待っていればいいんですよ。しかし、本物っていうのは並大抵のことじゃできないわけです。なにせ、古くしてやろう、と思うこと自体がもう古さに近づけない原因なんです。私たちは質のいい古いをつくるために丁寧にどういう時間が流れればいいかを考えます。しかしあくまで、生き生きとした今の塗り重ねだけが素晴らしい価値をもたらしてくれるんです。そこのバランスと仕組みが肝要です。あとは、一体何を古くするかっていうことですね。ここで大事なのは、今あるもののうち、何が失われるかってことですね、一体これのどこに価値があるんだって、みんながいうようなものです。そういうものは無くなってから何かしらの価値をもっていることに気づくんです。そして、それが不意に目の前に現れると皆さんこういわれます。「ああ、懐かしいなあ。」(プレゼンテーションより抜粋)

青木淳
20年後にはアスファルトに価値がある時代になっていると自分が考える、ではなく、そう予測する不動産屋を仮構し、そういう主体だったら今どんなことを敷地に仕込んでおくか、という問題設定。その論理と建築的達成がすばらしい。20年後のアスファルトを愛でる生活像も描けたらより説得力があっただろう。
堀部安嗣
荒廃する都市を前向きに評価する姿勢は理解できるが、ほかにも都市を構成する要素があるのにアスファルトという素材だけに注目した意図がはっきりしなかった。
平田晃久
論理的で矛盾のないプレゼンテーション。アスファルトに微細な地形を見い出す視線は未来の都市や建築をつくるものとして非常に評価できる。
小堀哲夫
時間を経た地面に対して違った見立てをして新たな価値を見つけるという極めて日本的な発想で、都市の荒廃もポジティブに考えられる感性に共感した。
八田哲男
自然に時間が経過して生まれるのがヴィンテージのよさだと思うが、20年後を見据えてヴィンテージを計画してる点に疑問が残った。

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優秀賞

水野 翔太(大阪公立大学大学院)

ものにたくす 江戸から学ぶシェアリングエコノミー

アメリカから来航した黒船のペリーは日本についてこういった。「不機嫌そうな顔にはひとつとして出会わなかった」。ペリーが来航した江戸時代だが、単身者は5割を超えている。現代より深刻な状況であるが、人びとは活気にあふれていたようだ。そんな江戸時代を支えていたのは、モノによるシェアリングエコノミーである。2045年、AIが人間を超え、AIに聞けば、正解がわかるようになる。データにならない何かがどんどん失われ、モノに想いを託した江戸時代から、モノから歴史・痕跡・記憶が失われる時代へと進んでいく。そこで本提案では、「モノの共有」「使い方の継承」「街のストック」を提案の3つの核とし、私たちが失いつつある目には見えない何かを取り戻し、残していくために、江戸時代からシェアのヒントを得て、現代を見つめ直す。(プレゼンテーションより抜粋)

青木淳
シェアという概念が江戸時代と現代に共通しているが、現代には「建築家」がいるということが異なる。そのときの「建築家」は従来型の建築家ではないはずであるが、従来型の建築家像が持ち込まれていることに違和感を持った。
堀部安嗣
過去を紐解き未来を考える姿勢がもっとも感じられた提案である。ただ、デザインが恣意的で、その点の説得力がほしかった。
平田晃久
屋根のデザインは魅力的だが、それと建築の論理が結びつくのかが明らかではなかった。
小堀哲夫
デザインが魅力的である一方、やりたいテーマとでき上がった空間が分離しているように思えた。
八田哲男
デザインとリサイクルの繋がりがどうあるかの説明がもう少しあるとよかった。 

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優秀賞

髙松 輝(東京理科大学大学院)
江原 健太(東京理科大学)

環体験と融解

私たちの過ごす時間は主観的であり、時に早く、時に遅く流れるものだ。この時間を伴う主観的な観測であるジャネの法則では人の生涯は体感20歳で半分を迎えるとされる。これは先20年の体験や発見が豊富なことが理由とされる。ここでもし家にも主観的な時間が流れていたら、と考える。その家においては着工の瞬間から生涯が始まり、家は周囲の家との応答から自己を形成していく。竣工は人の成人する時期に該当し、その後の人生で家は人を受け入れながら過ごしていく。 このような対応関係から人での20年を家における1年と読み替え竣工までの過程を設計する。そのような家には人も介入できない「だいじなところ」が生まれ、全体性を指向しない家となる。この家は人が住みながら得る体験を生み出している。異なる主体が体験を共有する環体験と互いが同じ空間で融解する家を提案する。(プレゼンテーションより抜粋)

青木淳
もう一歩踏み込めば、家自体が主体になった世界を構想できたかもしれない。人間の用に合わせて家がつくられるのではなく、家側の論理でつくられるとはどういうことを意味するか、またそれがどんな未来を切り開くかという課題にまで発展できうる点が評価できる。
堀部安嗣
20年後がどうなるか誰もわからないが、でも、この提案は行き当たりばったり感があり、その場その場でどうするのかが感じられなかった。
平田晃久
1年間の設計が人間の20年に相当するという前提に疑問が残った。これもひとつのフィクションなので、その中でしっかりと説明してほしい。
小堀哲夫
次から次へつくっていくプロセスが面白い。家を擬人化して、人間の成長と同じように形やデザイン、空間ができている。ただ旗竿敷地だからなのか、自閉的な操作に見えてしまう。

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入選  大和ハウス工業賞

辻本 直哉(和歌山大学大学院)
田村 瑞樹(豊橋技術科学大学)

上下するクラシ

20年後は遠い未来ではない。だからこそ、私たち学生も具体的に未来を考える必要がある。この住宅は「今と20年後をつなぐ住宅」である。首都圏では土地不足が深刻化し、密集市街地の居住環境悪化が課題である。この課題に対し、限られた土地でも快適な暮らしを実現するため、住宅に未来都市の「空間利用」という考え方を住宅に取り入れた。新しい構造体として、伸縮するブレースを用いて床スラブを上下させ、昼はリビングやダイニングを広く活用し、夜はプライベート空間を確保するなど、家族のライフスタイルや時間帯に応じた柔軟な空間利用を可能とした。人が動くように建築も動く、これは未来の住まい方を探る新たな住宅のプロトタイプである。(プレゼンテーションより抜粋)

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入選

中村 健 藤田 夏美 狩元 大志 
関根 寛隆 小山 大輝 永塚 遼 
渡辺 彩音 橋爪 海里
(大和ハウス工業)

家、そして

戦後の復興需要や高度経済成長期を経て、身近に馴染んだ新築持ち家信仰。住宅ローン政策により家の所有が可能となり、「住宅すごろく」といったキャッチコピーの下に夢のマイホームのためモーレツに働く...。時は流れて、その痕跡はゴーストタウン化したニュータウンや空き家問題となり表出している。そこで、家との関わり方を再考する。20年後に、家が住み手から取り残されることや積極的に住み継がれない選択に、もっと寛容になれないだろうか。所有をされない「いえ」は生活を脱ぎ、そして新たにまちなみとして佇む。いえを設計することは建築が生活をまとうと同時に20年後のまちなみをまとう行為と捉えることはできないだろうか。(プレゼンテーションより抜粋)

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入選

両角 敦弥 西村 和将 髙尾 大悟 
木瀬 駿 郎 敬禹
(フジタ)

振る舞いを残す

20年という期間は「家に対して住まい手が望むふるまい方が変化するには十分な時間」ではないだろうか。境界性が強くふるまい方の変化に追従できない家では20年後に住み続けたいと思われることは難しいかもしれない。屋根に着目し天気との境界の取り方を再考した家は多彩な揺らぎを内包し、住まい手が主体的に居場所を選択する。こうした家は本質的価値を獲得し、ふるまいを残したいと思うからこそ20年後住み続けたいと思うのではないだろうか。この計画は20年という期間を頼りに、天気を通じて家の価値を再考した提案である。(プレゼンテーションより抜粋)

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入選

酒井 良多(京都大学大学院)

生存領域の縮約

建築と人間を取り巻く諸条件の20年後の変化について、環境の激化、情報技術の発展、個人主義の加速という3つの予測を立てた。これらにより、過去100年間に進んだ住宅の高気密化高断熱化、すなわち閉鎖系化は加速すると考える。ここで、究極の閉鎖居住系はスペースコロニーであることを踏まえ、20年後の住宅は「コロニー的」な性質を持つと仮定する。具体例として、SF小説『三体』に描かれたスペースコロニーの心理描写を挙げ、未来の住宅は「ひとつの世界」という感覚と多様な環境の内包が重要になると考えた。これらの仮説を基に、筆者の現在の多様な生活空間を集約し、ひとつの住宅としての再構築を試みた。この試みは、未来の住居像を可視化するとともに、筆者の2024年の生存領域の記録としても機能する。(プレゼンテーションより抜粋)

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佳作

田村 さやか(北海道科学大学)
白蓋 裕一(北海道科学大学)

柳なる住処

荒廃農地とは、現に耕作されておらず、通常の農作物の栽培が不可能な農地を指す。これを復元するため、集合住宅から出る生ゴミを荒廃農地に戻し、環境修復に寄与する有機物循環システムを導入する。このシステムでは、住民の生活から生じるゴミを肥料として土壌に還元し、荒廃農地の復元を図るとともに、その先も持続的な形で農地の利用と環境保全を継続する仕組みを構築する。これにより、荒廃農地の回復だけでなく、自立した生活を支える地域社会が形成されることを目指した提案である。(応募案より抜粋)

柳なる住処<PDF:427KB>

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和田 歩士(九州大学)

依存症建築

私たちの身の回りは、テクノロジーで溢れている。それは人類の進歩のため、なくてはならないものであった。しかし、今の私たちはあまりにテクノロジーに依存してしまっている。恩恵をもたらすはずであった、テクノロジーは次第に私たちに害を与える。現実世界との繋がりは希薄になり、人と人の繋がりも薄れていく、そんな社会では人びとは孤立し、閉じた世界でしか生きられなくなる。そんな状況を想定し、世界と私たちを繋ぎ止める空間を建築に設ける。「依存性を持つ空間」と「社会性を促す空間」である。(応募案より抜粋)

依存症建築<PDF:3.44MB>

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上高原 将礼(京都建築事務所)

モクミツ2044

東京人口は増加傾向にある2044年現在、木密地域が住宅ストックとして注目される一方、安全面の問題は未解決のままである。できれば木密の魅力を残しながら、都市を安全に更新したい。そこで、地盤面を複製し、その上に住宅を積むことを考えた。元の地盤レベルに壁式RC造2階建て住宅を計画し、2階G梁をフレームとした人工地盤を形成。既存住宅は人工地盤上に曳家したり、RC住宅の型枠として読み替え、軸組はパーゴラに読み替えてもらうことを期待した。欧州の街の魅力を秩序とするなら、日本の下町の魅力は雑多さである。安心安全の名の下に無意識に奪われていく街の魅力を残せるよう、住まいの生産と更新の枠組みを再解釈した。(応募案より抜粋)

モクミツ2044<PDF:4.87MB>

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平山 紗羽(福岡デザイン専門学校)
谷 綾香(福岡デザイン専門学校)
三隅 七海(福岡デザイン専門学校)

新しいまち変わらない日常

20年後。こうあったらいいなという未来、それは「平和であること」。これまで過ごしてきた幸せな時間を将来の子供たちにも生きてほしい。今と変わらない日常で共にずっと幸せでありたい。しかし、可変的な自然世界で私たちは生活し、将来何が起こるか計り知れない。過去には東日本大震災などがあった。それらは瞬く間に人びとの平和の暮らしとまちを奪った。幸せな日常を地震によって失わせない「新しいまちで変わらない日常」が私たちの理想像である。これからの20年、その先の未来に南海トラフ巨大地震が起こりうるかもしれない。過去のような悲劇を繰り返さないため、20年後に向けて地震を乗り越えるまちを提案する。(応募案より抜粋)

新しいまち変わらない日常<PDF:4.01MB>

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森本 花穂(法政大学)
蒲池 太陽(法政大学)
髙野 優(法政大学)

踊り出す踊り場 -人間とロボットが共生する社会へ-

「介護されるくらいなら死んだ方がマシだ」、「そこまでして老人を介護すべきかを考える」。世の中には介護に対するネガティブイメージがある。介護は精神面と肉体面の双方で助ける必要があり、その担い手が人間のみになっているから負担が大きく感じるのではないだろうか。20年後、団塊世代は90代を迎え、要介護者が増加する。しかし、介護ロボットの普及によりロボットがケアラーとして台頭していき、それによって人間同士の関わりが少なくなるだろう。人間とロボットが対等な関係であることを前提に、皆が踊り出したくなるような踊り場を持つこの集合住宅が介護というネガティブイメージを払拭する基点になることをこの設計の目標とする。(応募案より抜粋)

踊り出す踊り場
-人間とロボットが共生する社会へ-
<PDF:2.62MB>

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杉山 峻涼(東京藝術大学大学院)
石井 大治朗(フリーランス)

トランジット・バスルーム

浴室。あるいは、家の中の家、または秘密の部屋、について。その入れ子の構造を、物理的に、秘密裏に、閉じた系として囲い込むのではなく、この秘密(どんなに小さく、断片的で、とりとめの無いものでも、遠くだれか、どこか、なにかときっと、繋がっているのだという秘密)はそのまま、囲い込まれた「家」の構造を反転することで、そこへ押し込められていたあらゆる事事、物物の横溢、超越、宇宙的氾濫をこころみます。お風呂が沸きました! ざぶん。しぶきが立ち上がり、波紋が拡がります。遠くで、他の波と出会い、打ち、寄せ、共振します。だれかの起こした波が、心地の良いリズムでわたしを揺らし、うつら、うつら、目を瞑る。わたしの波は、どうか、どこか、と。(応募案より抜粋)

トランジット・バスルーム<PDF:4.05MB>

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原 陸(東京藝術大学大学院)

めおとになっていく

なぜ〈建築〉は、あるいは〈家〉は夫婦になれないのだろうか。われわれに家系図があるように、血族としての繋がりを求めながらも、建築として代謝が生まれる時、それは適用されない。「なる」ものとして家が存在できないように、「なっていく」ものが家であり、成人になる過程で家の輪郭を理想化していく。その20年に夢散した家の輪郭たちは、おのおのの家を朧げに定義づけながら部分化していく。一致するはずのない互いの定義は、願望を誘発し、「なる」ことを目指そうとする。互いの定義を掬い上げ、並べてみる。順番にあるいは横並びに。正しい順番ではないかもしれないけど。並んだ輪郭たちは「なっていく」。夫婦になっていく。(応募案より抜粋)

めおとになっていく<PDF:3.96MB>

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藤村 圭央莉(SuKA建築設計事務所)

わたしとあなたといえと。

たまたま見つけた空き家を気に入り、住むことに決めた私たち。生活の中で起こるアクシデントや家族への想いやり、ライフスタイルの変化に合わせて家の中をつくり変え、自分たちの暮らし方を見つけていく、子供が成人するまでの20年間を描いた物語である。この家族一人一人が、どんなことを考えて、どんな会話をしているのか、自分の家族のこと、幼き頃の思い出のモノなどを思い出しならが、想像してほしい。思い出は自分の記憶の中にずっとあるわけではない。いつか忘れてしまう。だが思い出は、私たちの人生に彩りを与えるもので、時々ちょっと立ち止まって後ろを振り返り、記憶から一度出してあげることが大切なのではないだろうか。(応募案より抜粋)

わたしとあなたといえと。<PDF:729KB>

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竹村 敬太郎(法政大学大学院)
橋本 菜央(法政大学大学院)

十二節気の夏

昔よりも夏が長くなったと感じる。体感では6月半ばから9月半ばまでが夏だ。20年後には4月から10月が夏になるかもしれない。四季という言葉なのに、春と秋がなくなってしまうと思うかもしれないが、実は違う。春や秋は夏に溶け込み、その色合いを変えていくのだ。こうして夏はひとつの季節ではなく、さらに細かい移ろいを見せるようになる。都市に住む私たちは季節感を忘れがちだ。本来なら感じ取れるはずの風情や情趣を見落としてはいないだろうか。「いろんな夏」は、そんな季節の変化を思い出させてくれる。暑さだけで片付けていた夏の違いに気づき、心が豊かになるのだ。そんな季節を感じられる家で暮らせたら、どんなに素敵だろう。(応募案より抜粋)

十二節気の夏<PDF:2.35MB>

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別所 匠(フジタ)

建築という概念が終わる時

20年後において、住宅価値の低下や空き家増加が進み、高層マンションですら空室が目立つ時代が訪れると予想される。また荒廃していくであろう街中での人びとは廃材を活用し、自ら住居を改修・アレンジすることで低コストかつ個人の好みに合った住空間をつくるようになるのだろう。その結果、精神的な豊かさが増す可能性がある一方で、われわれの役割も「建てる」から「組み立てのアイデアを提案する」方向へと変化するのではなかろうか。荒廃していくであろう未来に備えて、今、われわれができることは何なのか、また荒廃させないためにできることは何なのかを考えたい。(応募案より抜粋)

建築という概念が終わる時<PDF:1.51MB>

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第19回ダイワハウス コンペティション