世田谷区成城にある猪股邸(猪股庭園)は、吉田五十八(よしだいそや)氏の手による
近代数寄屋の名建築。和室と洋間を融合させて生活しやすい空間をつくりつつも、
設備を空間になじませ、余計な線をできる限り取り除いて
建築としての美しさを追求した、吉田流の技が随所に光ります。
今回は過去に「猪股庭園」を訪れてそのたたずまいに魅せられたという
ダイワハウス ハウジングマイスターの小林英明が、昔と今に共通する住宅設計の神髄を探ります。
Profile
ダイワハウス ハウジングマイスター
小林英明
大和ハウス工業株式会社 名古屋支社
住宅事業部 設計課
1972年名古屋生まれ。
設計事務所、ハウスメーカー数社を経て2003年大和ハウス工業入社「動線をどうとるか」「窓をどうとるか」を軸に一邸一邸お客さまの想いを建物に定着させる。一級建築士、ダイワハウス ハウジングマイスター(社内認定)
建築家・吉田五十八氏とは?
吉田五十八氏は太田胃散の創業者・太田信義の五男として、明治27年に東京の日本橋に生まれました。東京美術学校(現東京藝術大)図案科を卒業後、モダニズム建築を学ぶためヨーロッパ・アメリカに渡りますが、吉田氏を魅了したのはルネサンス建築やゴシック建築といった古典建築だったといいます。
帰国後、独自の建築を模索し、伝統的な数寄屋造りに着目。そこに機能性を加えて独自に近代化させた「近代数寄屋造り」を確立させました。
吉田流の代表的な工法として「長押・鴨居といった日本建築の線の省略」「柱を消して大壁造りを採用」「椅子式生活との共存」「障子の寸法の再考」などが知られています。暮らしが洋式化されていくなかでも、趣味や好みは日本的でありたいと考えた吉田氏。近代数寄屋は、そんな時代の背景から生み出されたといえるでしょう。
猪股邸は吉田氏が晩年に設計した、集大成ともいえる作品です。ダイワハウス ハウジングマイスターの小林とともに、新数寄屋造りのヒントを探っていきましょう。
資料提供:(株)水澤工務店
猪股邸とは
一般財団法人労務行政研究所の理事長を務めた、故・猪股猛氏ご夫妻晩年の住まいとして昭和42年に建てられたこの建物は、外から見ると武家屋敷の趣がある伝統的なたたずまいですが、内部は和室と茶室以外の部屋のほとんどがカーペット敷きの洋間です。室内はほぼバリアフリーで、作り付けの収納家具やウォークインクローゼットも備えられた、現代を先取りした仕様となっています。下記の図版が家全体の間取り図です。
猪股邸が建てられた約50年前は世の中の建築が洋間に移り変わっていく過渡期だったはず。伝統的な数寄屋に洋間をどのように調和させるかということは、猪股邸を設計する上でのテーマの一つだったと考えられています。
猪股邸の名建築たるデザインとディテール
過去に猪股邸を探訪して感銘を受けた小林が、猪股邸のディテールを解説します。
門と塀を融合させた「境界のデザイン」
北側に設けられた門から猪股邸を眺めると、建坪の広い平屋住宅にしては屋根の存在感が極力抑えられ、圧迫感を感じさせません。これは「外からは小さく低く」という数寄屋造りの特徴です。2つの中庭を挟んで母屋を設計することで、屋根を分けて小さく見せる工夫がされています。さらに、小林は門と塀の関係にも注目します。
小林
通常、「門は門」、「塀は塀」として取り扱われますが、猪股邸では門と塀が交錯するように設計されています。「門はくぐる」「塀は公私を分ける」といった個々の意味合いをうまく融合させてデザインしていると感じます。
さらに、門の屋根と、松葉越しに見える母屋の屋根が重なり合って三角形を形成しているのが分かります。外構と建物を三角形の中に納めるとデザインの調和が生まれるため、ダイワハウスのxevoΣ PREMIUMの設計にも取り入れています。広大な敷地ながらも威圧感を感じさせない猪股邸の洗練されたたたずまいは、こうした設計の工夫からなっていると感じます。
風景を楽しむためのすっきりとした開口(窓)
玄関には採光と換気を確保できる60cm程度の地窓が設けられ、中庭の緑、その先のダイニングルームへと視線が抜けます。来客者からダイニングが丸見えにならない高さに設計されているのが分かります。
小林
住まいづくりにおいて窓をどうとるかは非常に重要なことです。猪股邸のような大きな建物だと内部が暗くなりがちなので、その重要度は増していきます。地窓にしたのは中庭の緑を切り取りたかったことと、窓からやわらかに差し込む光が床に反射して拡散することを期待したのではないでしょうか。玄関ホールはあくまでも控えめな光の取り入れ方ですが、光あふれる居間への導入部としての"光の計画"なのだと感じています。光の緩急といったところでしょうか。照明が普及した現代でも、自然光の計画が重要だとあらためて気づかされます。
玄関ホールを抜けると迎えてくれるのが、庭を臨む大開口の居間。開口部の建具は両側に引き込まれ、視界を遮るものは何もありません。
小林
この開口部は幅が3間(5.5メートル弱)もあるため、壁の内部に仕込んだ鉄骨で鴨居を支えているそうです。ダイワハウスでも鉄骨造ゆえの強度を生かした大開口を得意としていますが、猪股邸の基本構造は木造。部分的に鉄骨を用いることで見た目の美しさを追求する姿勢には脱帽です。ここから眺める庭はまるで一枚の絵画のようです。
雨戸、網戸、ガラス戸、障子戸が2枚ずつ、計8枚引き込まれるため、厚みのある鴨居に。棧は堅い木材に磨耗しにくい桜の皮を貼ったもので、大工の高度な技が光ります。猪股邸にはこうした引き込み戸が随所で見られます。
小林
居間の障子にも工夫が見られます。吉田氏は空間に合わせた障子のデザインを試みたのではないでしょうか。後ほど紹介する低い天井の茶室には横の広がりを意識して横長に、高い天井の居間には縦の広がりを意識して縦長に。当時は九寸二分の障子紙に合わせて組子の大きさが決められていたので、空間に合わせてつくる吉田流は当時の大工さんには衝撃だったのではないでしょうか…。まさしく革命児ですね。
造り付けの収納や三面鏡付きのドレッサーを備えた夫人室。3脚のチェアは吉田氏がデザインしたもので、当時のまま現存しています。
小林
ウォークインクローゼットの窓からは、庭の景色が絵画のように切り取られて浮かび上がります。これは八掛(はっかけ)納まりという手法で、薄い窓枠にしたことで効果を発揮します。大きな窓枠の存在感を消すことで、壁が窓のギリギリまで来る形になり、すっきりと見えます。こうした細かな処理が素晴らしいですね。
和室と洋間をつなげるこまやかな工夫
夫人室に隣接したウォークインクローゼットと和室をつなぐ欄間障子。この欄間障子は組子の間に障子紙を挟み込むことで、どちらから見ても表に見えるよう工夫されています。
小林
現代でもリビングと和室が隣接するとき、リビングから障子の裏側が見えると野暮ったくなるので、同様の手法を用いることもあります。この頃からすでに採用されていたとは驚きです。鴨居を支える吊束(つりづか)がないのも、吉田先生が得意とする手法です。余計な線を消すことですっきりとした印象になり、隣り合う洋間と和室が分断されることなくなじんでいます。当時、和室は大工さん主導でつくられていました。ところが、吉田先生の和室の設計は在来工法とは大きく異なるもの。当初は大工さんの抵抗を受けたのではないでしょうか。
和室の床の間の上げ床部分は空調の吸込口になっています。猪股邸では現代的な空調機器類が徹底的に和の意匠の中に隠され、存在感を感じさせることはありません。
住む人の心をときめかせる特別な部屋
庭にせり出すように設計されたこちらの書斎は昭和57年に増築されたもので、吉田氏の弟子・野村加根夫氏の設計です。
電気式の掘りごたつは、オフシーズンにはテーブルを床下に格納することで床と一体化します。
小林
窓の開放感が素晴らしいですね。居間と同様、こちらも建具がすべて引き込まれていますが、閉めた建具が柱の外側に来るように設計されているので、外から見たときに出隅(ですみ:外壁の角のこと)がすっきり見えます。吉田流数寄屋を踏襲したお弟子さんのこだわりを感じます。
猪股氏は武家茶道「鎮信流茶道」を極めた茶人としても知られ、玄関から渡り廊下でつながれた茶室でしばしば茶会を催していました。通常2尺のにじり口を、倍の4尺に設計したのは、茶室から見る庭の眺めを楽しむため、と考えられています。
ぴったりと納める美意識が垣間見える細部
正方形のパーツの組み合わせに見えますが、実は食堂の床のフローリングは、食堂の床にぴったりと納めるために、ひし形に割り付けられています。ひし形にすることで頂点がぴったりと納まります。
小林
食堂の他に、玄関ポーチの床でも四半敷という形でひし型が繰り返し使われています。2つは意識的に揃えたと私は推測します。私も設計の際にタイル割り(半端がでないようにタイルを割り付けること)をする時に、ぴったり納まっていた方がすっきりしますし、品がでます。品や瀟洒(しょうしゃ)な建物にこだわった吉田流。すべてにおいてぴったり納めることの集合体が猪股邸のような上品な雰囲気を醸し出す秘訣ではないでしょうか。
ダイワハウスでも外壁タイルのラインアップに建物の躯体に合わせたモジュールタイルを用意しており、建物全体の意匠を向上させています。そのような一つひとつのこだわりの繰り返しが上品な建物をつくるのだと思います。
人の目線や気分を変える高低差
小林
印象的だったのは門から玄関までのアプローチ。門をくぐると、せり出した門の屋根に視線を遮られて母屋が見えないため、自然と庭の景色に視線がいきます。門と玄関では腰程の高低差があるため、敷石を進むたびに少しずつ母屋が現れてくるのがドラマチックですね。こうした門から玄関へのシークエンスデザインは、私も設計において大切にしている部分です。
小林
居間の天井高は3m程度。埋め込み型の照明は、当時はかなり斬新だったはずです。さらに、部屋の用途に合わせて天井高を変える工夫が施されています。人が集まる居間、椅子で過ごす夫人室、畳に座って過ごす和室の順で天井が低くなっていく設計です。ダイワハウスのxevoΣ(ジーヴォシグマ)の設計でも2m72cm(※1)の天井高を標準とし、天井に高低差をつけることでそれぞれの部屋に合った居心地を生み出しています。過ごす人の居心地を考えて空間をデザインすることは、今も昔も変わらないのですね。
※1天井高は2m40cm、2m72cm、さらにグランリビングモア(36cmダウン)と折上天井(8cmアップ)を組み合わせることで、最高3m16cm(1階のみ)まで実現可能。天井高は間取りや建設地、建築基準法(法令)等により対応できない場合があります。
地域住民が積極的に関わる保存スタイルとは?
猪股邸は猪股猛氏のご家族より「この住宅を末永く残して欲しい」と世田谷区が寄贈を受け、「区立成城五丁目猪股庭園」として平成11年から一般に公開しています。建物はもちろん、四季折々の樹木やスギゴケを配した回遊式の日本庭園は、訪れる者の目を楽しませてくれます。
地域住民が積極的に関わる、貴重な文化財の保存スタイルについて、猪股庭園を管理運営する世田谷トラストまちづくりの髙橋誠さんにお話を伺います。
小林
来園者を案内するのは地元を中心としたボランティアの方たちとお聞きしました。どのような方たちなのですか。
髙橋
貴重な区の財産をただ管理するだけではなく、区民の皆さんと一緒に後世に伝えていくという趣旨に賛同してくれた方々がボランティアとして参加してくれています。猪股邸に感銘を受けた方、活動を通じて地域交流をしたい方など、区民以外の方々もいらっしゃいます。世田谷トラストまちづくりでは解説ボランティアを養成し、1日2~4人のスタッフが交代で来園者に案内をしています。
小林
繊細な近代数寄屋建築を維持するには苦労もおありではないでしょうか。
髙橋
建物は使っている方が傷まないものですが、多少老朽化は進んでいます。数寄屋の修繕は専門の工務店しかできないので、どうしてもコストはかかりますね。最も苦労するのが庭園の管理で、中でもスギゴケは乾燥した関東の風土では育ちにくく苦労しています。夏は直射日光が当たらないように彼岸までは白い寒冷紗を覆って陽を遮っています。世田谷区は文化財の公開という点でとても先進的で、たくさんの人に何度でも来てもらえるよう、入場を無料にしています。訪れるたびに新たな発見があるのが猪股邸の魅力です。
数寄屋建築に新たな風を吹き込み、機能性を高めて進化させた吉田五十八の近代数寄屋住宅は、和風モダン住宅の原点と言えるでしょう。和風の趣の邸宅の中に洋間が美しく溶け込んでいる猪股邸は、現代の住まいづくりで参考になる部分がたくさんあるはずです。ぜひ訪れてみてください。
探訪した建物
旧猪股邸(成城五丁目猪股庭園)
東京都世田谷区成城5-12-19
問い合わせ連絡先: (一財)世田谷トラストまちづくりビジターセンター 03-3789-6111
開園時間:9:30~16:30
休園日:毎週月曜日(ただし月曜が祝日の場合は次の平日)と年末年始
入場無料 駐車場無
https://www.setagayatm.or.jp/trust/map/pcp/
※掲載の情報は2019年11月現在のものです。