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連載:未来の旅人
2025.8.27
気象庁が「これまでに経験したことのない大雨」と表現する日が、年々増えています。ゲリラ豪雨(局地的大雨)、線状降水帯、記録的短時間大雨、それによる冠水——。もはや水害は、地震や台風と並ぶ"現代型の自然災害"といっても過言ではありません。
慶應義塾大学名誉教授の岸由二さんは、幼少期を東京都と神奈川県を流れる鶴見川流域の自然の中で遊んで育ち、何度も大規模水害を経験したことから、流域全体で考える治水戦略をいち早く啓発し、「流域思考」という考え方を提唱してきました。
岸さんは「温暖化による豪雨時代を生きのびるためには、県や区といった行政単位ではなく、人間の暮らしを『流域』という地形や生態系から捉える必要がある」と話します。私たちが自然と共に生きるために、そして自身の暮らしを守るためにできること、そして地球の未来のために身につけるべき「流域思考」とは?
鶴見川は、東京都町田市北部の源流から、神奈川県川崎市、横浜市をつらぬき、横浜市鶴見区生麦で東京湾に注ぐ一級河川です。全長はフルマラソンコースとほぼ同じ42.5km。流域面積は235k㎡で、横浜、川崎、町田、稲城の一部に広がっています。普段は穏やかな鶴見川ですが、大雨のたびに氾濫を起こしてきた「暴れ川」でもありました。
1966年6月に発生した台風4号では鶴見川各所で決壊し、床上・床下浸水の被害は18,000戸以上に及びました(鶴見区上末吉付近の写真/国土交通省ウェブサイト「鶴見川の主な災害」より)
「私は鶴見川の河口のまちで育ちました。実家は木型工場を営んでいましたが、大規模水害で何度も家が水没する経験をしています。ここ100年で最大の水害は1938年の水害ですが、その時には新婚だった両親が新設した工場が大水没して、無一文になりました。我が家は、鶴見川流域でも最大の被災を経験したうちの一軒だったと思います」。
もともと水害が多かった上に、高度経済成長期以降は、急激な都市開発や工業地帯化によって、上中流域の森林や田畑が激減。大地の「保水力」が低下した結果、以前より少ない雨でも頻繁に氾濫が起きるようになりました。
「以前なら、降った雨は山や田んぼに染み込んでいってくれましたが、地面がコンクリートになると、雨が降る量は同じでも、川に流れ込む水の量は増えていきます。1976年には、さしたる豪雨でもなかったのに中流域の横浜市緑区や青葉区でも氾濫が起こり、4,000戸あまりが床上・床下浸水しました。そこまできて、ようやく国が危機感を覚え、対策に乗り出すことになったんです」。
国土交通省ウェブサイト「鶴見川の主な災害」を基に編集部作成。
国土交通省ウェブサイト「鶴見川の歴史」を基に編集部作成。
そもそも、豪雨が引き起こす水・土砂災害は、流域という地形や生態系が引き起こす現象です。「流域」は、雨の水を川に変換する大地の構造を指し、人間が利用可能な土地は、原則例外なく何かしらの河川の流域に属しています。
そこで、行政区域でなく流域全体を一つの単位として、関係者が連携して治水対策に取り組むのが「流域治水」です。実は、全国に先駆けて流域治水に取り組み、大きな成果を挙げてきたのが鶴見川でした。
1980年には自治体の枠を超えて「鶴見川流域総合治水対策協議会」が設置され、河川や下水道の整備に加え、森林、水田、雨水調整池の配置などを流域全体で進める総合治水対策が始まりました。
中でも注目されるのは、2003年6月から運用を開始した「鶴見川多目的遊水地」です。平常時は公園施設や医療関係施設など多目的に利用されているこの場所は、総貯水量は390万㎥、東京ドーム約3杯分もの水を貯めることができます。2019年、東日本各地に甚大な被害をもたらした台風19号の時も、鶴見川の洪水流を一時的に取り込むことで、氾濫被害を防ぐことができました。
上が平常時の鶴見川多目的遊水地、下が洪水時(国土交通省ウェブサイト「鶴見川の歴史」より)
流域治水に取り組み始めて40年以上が経過しましたが、1982年の水害を最後に、鶴見川水系での氾濫は起きていません。流域治水がいかに有効な治水対策であるかがよく分かります。
1982年9月に発生した台風18号では、流域平均2日雨量218mmを記録しました。床上・床下浸水の被害は約2,710戸となったものの、これ以降、川自体から水が溢れる外水氾濫は発生していません(鶴見区潮田町付近の写真/国土交通省ウェブサイト「鶴見川の主な災害」より)
「今後ますます流域治水の重要性は増していくでしょう」と岸さんは確信しています。国もその重要性を認識しており、2020年には、全国の一級水系などで流域治水への転換を進める「流域治水プロジェクト」が始まりました。さらに翌年には、「特定都市河川浸水被害対策法等の一部を改正する法律案(流域治水関連法案)」を施行し、日本全体での流域治水を推進していく方向性に舵を切りました。
「記録的短時間大雨や局地的大雨が増えている今、上流で激しい雨が降れば、雨が降っていない下流でも川の水位が増していきます。つまりもう、自宅周辺の気象情報を追っているだけでは具体的な危険までは把握できず、行政の地域区分や既製の地図に頼っていては生き残れない時代が来ている。だからこそ『流域思考』が重要なんです」。
「流域思考」とは、生物多様性の保全や地球温暖化に伴う自然災害の増加といった問題を、行政単位ではなく流域単位で考えること。すると、「足元からはるか遠くの源流まで、全体を俯瞰的に捉えることができるようになる」と、岸さんは話します。
「例えば雨がたくさん降っても川が氾濫しない時、その流域で暮らす人たちは『それは源流の森が水を貯めてくれているおかげだ』とは認識できなくなっています。地べたの凸凹と関係のない、行政区域で分けられた平面的な地図に納得しているからそうなってしまうんですね。それでは『足元の生命圏とつながる感覚』は分からない。逆に、この感覚を取り戻すことができれば『自然と都市文明の共存』も可能になります。流域の中には、都市も自然も両方あるんです。それが分かれば、やり方次第で、地球全体を緑いっぱいのすばらしい都市にすることだってできるはずです」。
実際に岸さんは、流域思考をベースとした都市づくりを行ってきました。1983年に始まった神奈川県三浦市の「小網代の森」という流域一帯の保全活動は、その好例です。
小網代の森の全景(写真提供:NPO法人小網代野外活動調整会議)
「当時慶應義塾大学の助教授だった私は、三浦に移住した同僚の物理学者に要請され、開発対案提示活動に入りました。ただし、開発に反対ではなく賛成。でもバブルが弾ければ崩壊するようなゴルフ場はやめる。流域思考で敷地分析をして、守るべき流域は守り、別の流域は50ha規模で住宅にする対案を提示しました。多難なプロセスはありましたが、その対案を企業も行政も受け入れて、『小網代の森』という70ha規模の緑地が保全されたんです」。
保全が確定し、森が一般公開されたのは2014年でした。それ以降、岸さんは森を保全するNPOの代表として、ずっと現地に通っています。
「私が提案した住宅や道路の計画も進んでいます。小網代の森の魅力を手掛かりにして三浦市を消滅都市にはしない工夫をいかに進めるか。今、私の三浦における流域思考の焦点は、次の都市計画がどうあるべきかということなんです」。
実際、東京ドーム約15個分の小さなエリアに、現在も豊かな自然や生態系が守られ続けています。だからこそ大切なのは、少しでも多くの人の流域思考を養うこと。そうすれば、私たちのこれからの暮らしも自然との関わり方も変わっていくことになるでしょう。
「流域思考では、戦争をなくすことも世界平和をつくることもできないかもしれません。でも生命圏の問題は、流域思考のような環境倫理がないと解決できない。だから、人類が自然と仲良く暮らす文明を確立するには、必要十分条件として流域思考は絶対ないといけないものだと思います」。
1947年生まれ。横浜市立大学文理学部生物学科卒業。東京都立大学理学部博士課程修了。進化生態学者。慶應義塾大学名誉教授。流域アプローチによる都市再生に注力し、鶴見川流域、多摩三浦丘陵で実践活動を推進。NPO法人鶴見川流域ネットワーキング、NPO法人小網代野外活動調整会議、NPO法人鶴見川源流ネットワークで代表理事を務めている。著書に『自然へのまなざし』(紀伊國屋書店)、『「流域地図」の作り方』(ちくまプリマー新書)、『生きのびるための流域思考』(ちくまプリマー新書)、『利己的遺伝子の小革命』(八坂書房)などがある。
大和ハウスグループも「生きる歓びを、分かち合える世界」の実現に向け、様々な取り組みを進めていきます。
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