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特集:改めて考える。多様性、なぜ大事なの? 「マイノリティにも、マジョリティにもなる私」。コムアイが語る、多様性の視点

特集:改めて考える。多様性、なぜ大事なの?

「マイノリティにも、マジョリティにもなる私」。コムアイが語る、多様性の視点

2025.5.29

    アーティストや俳優として、音楽や身体的なパフォーマンス、映像作品への出演、執筆など、独自の表現活動を展開するコムアイさん。水資源の課題を考えるプロジェクト「HYPE FREE WATER」を立ち上げるなど、気候変動をはじめとする社会問題についても積極的に発信しています。

    映画監督、文化人類学者の太田光海さんとは事実婚を選択し、2023年にペルーのアマゾンに暮らすワンピス族の村で第一子を出産しました。現在は、日本とブラジルの2拠点生活を送っています。国境や先例に捉われず、自身の人生を築くコムアイさんにとって、「多様性」とは?

    自分はマイノリティ? マジョリティ?

    コムアイさんは音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」を2021年に脱退し、以降はソロアーティストとして国内外で活動しています。海外で過ごす時間も長いなか、そもそも「多様性」をどう捉えているのでしょうか。日々の実感をもとにこう語ります。

    「海外で暮らすと、マイノリティとして緊張したり、肩身の狭い思いをしたりすることはあります。トラブルがあれば追い出されるかもしれない。日本でも、例えば働き方という点で私はマイノリティだと思います。子どもを保育園に入れようとすると、いろいろな仕組みが、会社員の家庭をベースにつくられていると感じます。でも、ある部分で自分はマイノリティだと思っても、別の部分では何かしら特権を享受していることもあって。自分が生まれながらにして持っている特権を自覚していないこともあります」。

    コムアイさんが大事だと思っているのは、自分がマイノリティになる時もあれば、マジョリティになる時もあると気づくこと。それが多様性を尊重するインクルーシブ(包括的)な社会につながると考えています。

    「私自身、ふとした会話の中で、もしかしたら相手を傷つけてしまったかもしれないと反省することもあります。何気なく『彼女いるの?』と聞いてしまったり。マジョリティ側にいるとマイノリティ側に気づくのはとても難しいのに、多くのことはマジョリティ側からしか変えられません。だからこそ、自分がマジョリティである場合に、いろいろな立場の人が心地よく過ごせるように考える。『傷つけてしまった』『申し訳ない』と反省ばかりではなく、マイノリティ側の人たちと一緒に既存のシステムに抵抗する姿勢でいられたらと思っています」。

    家庭でも学校でもない「世界」とつながりたいという渇望

    両者を行き来し、自分の価値観を更新し続ける、そんな柔軟な視点はどこから来たのでしょうか——。異国の文化風習や、気候変動などグローバルな社会問題に関心が高いコムアイさんは、10代の頃から世界で起きている出来事に興味を持っていたと言います。

    「生まれ育ったのは、東京の郊外にあるベッドタウンです。父は大学を出てから定年退職するまで1社に勤め続けていて、絵に描いたような会社員と専業主婦の家庭でした。友達の家も、大体似たような家族構成で経済状況だったと思います。サバイブしなければいけないハングリー精神みたいなものはなく、安心して生きられる。その前提があった上で、どこかに『つまんない』という感覚がありました」。

    振り返ると、ロールモデルとなる「大人」をあまり知らなかったのも今に影響していると続けます。

    「小学生の時、大人というと、自分と友達の親、先生くらいしか知らなくて、自分がどういう大人になっていいかわかりませんでした。子どもの頃、昭和に憧れていたんです。商店街があって、寄り道して、いろんな人と話をして見守られながら家に帰る……。地元はそういうのとは真逆の住宅街で、子どもながらに『この環境で子どもが育つのは難しいんじゃないか』と思っていました」。

    「自分が感じたことを、社会の問題だと大きく捉えるような子どもだったんですよ」と笑うコムアイさん。もやもやが澱のように広がる学生時代、家庭でも学校でもなく「社会」に自身の活動範囲を広げていったのは、自然なことでした。

    「中学3年生くらいから、学校の外でいろんな場所に行くようになったんです。地雷撤去の募金活動に参加したり、土日に農作業をしたり」。

    ボランティア活動などを通して社会問題に向き合い、幅広い世代の友人も増えて、多様な価値観を包摂していきました。中でも大きな影響を及ぼしたのが、高校2年生の夏休み、NGOピースボートに参加し5カ国ほどを巡り、高校3年生の時には、同級生2人でキューバに行ったことでした。

    「東京では、街じゅうが何かを売るための広告であふれていて、"情報に酔う"感覚に陥って、嫌だったんです。資本主義とは違うイデオロギーの国に行ってみたかった。高校生2人が独力でキューバに行けたのも自信になりましたし、日本とはまったく違う場所があるんだと刺激を受けました」。

    中学では音楽の部活動にも参加していたものの、自身の演奏技術などを高めるより、社会に役立つことをしたいという意識が強く、音楽の道に進むとは思っていませんでした。その後、偶然音楽の道に誘われ、大学在学中に音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」のボーカルとしてデビューを果たします。

    「音楽中心の当時は、社会課題のことはあまり考えていなかった気がするけれど、今はまた10代の頃のように関心が戻っています。表現することも自分にとって大切だし、社会の役に立ちたいという思いも自分の根底にありますね」。

    役割の固定化を、避けているのかもしれない

    現在は、アーティストとしての表現活動、社会問題に対する活動の両方がコムアイさんの軸になっています。

    「活動を一つには絞れないんです。自分の立場や役割を特定するのが好きではないですね。先ほどのマイノリティとマジョリティの行き来の話もそうですし、彼(パートナーの太田光海さん)との子育てもそう。『私はこう』『父親と母親はこうあるもの』というように、断言や役割を固定化される場面を避けようとしている節があるのかもしれません」。

    家事や育児は「完全に半々」だというコムアイさん。ですが、子育てをする中で、違和感を抱く出来事はいろいろとあるそうです。

    「『パートナーの方、協力的なんですね』と言われることがありますが、何でも一緒にやっているから『協力的』という言葉は当てはまらないんです。料理も半々でやったり一緒にやったりしているのですが、子どもの定期健診の際に、先生から『お母さん、野菜を食べやすいように工夫してみてくださいね』と私のほうだけを向いてアドバイスされたりする。そういうバイアスが、せっかくがんばろうとしている当事者を傷つけたり、排除してしまう。これは子育ての話に限りません」。

    ほかにも日本での保育園関係の申請書類の複雑さ、持ち物への名入れなど膨大な時間のかかる事務作業……。ブラジルでは必要とされなかったものがほとんどで、悪戦苦闘の日々だと言います。

    「社会や仕組みに何かしら違和感を抱いても、自分一人ではちっぽけで何もできないように感じることもあります。でもシステムが変化するための最初の一歩は、何かがうまくいかない事態が起こること。男性が育児休暇を取りたいのに取れなかったり、外国の方が役所へ手続きに行ったら、入力フォームがややこしくて書けなかったり。そういう時、『できない人が悪い』と一瞬は思われたりするけれど、『システムの欠陥を見つけられた』って思うようにしたらいいんじゃないかな。そうした"ほころび"を見つけて出発点にできた時こそ、社会が変わるチャンスだと思います」。

    PROFILE

    コムアイ

    コムアイKOM_I

    1992年神奈川県川崎市生まれ。音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして活動し、2021年9月に脱退。 伝統音楽活動以外にも映像作品への出演、執筆など独自の表現活動を展開する。水資源の課題を考えるプロジェクト「HYPE FREE WATER」をはじめ、社会問題を積極的に発信している。

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    大和ハウスグループも「生きる歓びを、分かち合える世界」の実現に向け、様々な取り組みを進めていきます。

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