ダイワハウスコンペティション告知ページ
![[第20回ダイワハウス コンペティション]結果発表](images/result2/result2_mainvisual.png)

大和ハウス工業が主催する「第20回ダイワハウスコンペティション」は、2025年10月29日に1次審査が行われ、応募作品341点(応募登録721件)から1次審査通過7点と佳作10点(各5万円)が選出されました。
そして2026年1月16日の公開2次審査において、通過者によるプレゼンテーションを行った後、公開審査により各賞を決定しました。今回は最優秀賞に該当する作品はなく、最優秀賞の賞金は優秀賞と入選に傾斜配分されました。優秀賞(3点):各70万円、大和ハウス工業賞(1点):30万円、入選(4点):各22万5千円。
大和ハウス工業賞は、1次審査通過7作品の中から、公開2次審査のプレゼンテーションと質疑応答を通して、審査委員とは独立したかたちで大和ハウス工業が1作品を選出する賞です。

青木 淳
今回は例年に比べ応募数が非常に多く、親しみやすいテーマだったのだと感じます。一方で、とっつきやすかった反面、どのような理由でそれが帰りたい家なのか、明確な意識をもったところまで深掘りできている作品が少なかったかもしれません。あるいは、論理化はできたものの、それをもう一度、案にもっていく筋道が甘く、第三者がそこで行われた思考を辿りにくいものがかなり見受けられたのは残念です。感覚と論理の往復は、そもそも難しいことですが、実際の建築同様、こうしたアイデアコンペでもその往復の精度と飛距離が肝要であることを改めて感じました。

堀部 安嗣
1次審査通過7作品は審査委員の一致で選ばれた優れた作品であることは間違いないですが、佳作の中にも非常に素晴らしい作品がありました。むしろ佳作の方が、考えたこととかたちが一致しているものも多く見受けられます。通過7作品は、会場で話を聞きたいと思ったものが選ばれています。アイデアの可能性を評価して、もっと面白い話が聞けることを期待して公開審査としています。つまりこの場では、よい対話をしたいのです。そして、お互い考えも経験も年齢も異なる者同士が、こんな考え方が楽しい、こんなことを思いつかなかったな、ということを共有できる場にしたいと考えています。この公開審査の可能性と意義をもう一度考えていただいて、再チャレンジしていただけることを楽しみにしています。

平田 晃久
このアイデアコンペは、建築のアイデアと表現、そして公の場での議論があり、それらすべてを踏まえて、対話の中で評価をします。そのような開かれた場が設けられているということ自体が非常に素晴らしいことです。僕はどんなことがあっても最優秀賞を選ぶべきだと思っていますが、今回最優秀賞を選ばないという案に賛同したのは、そのことによって何か皆さんに伝わるものがあると感じたからです。考えたかたち、あるいは表現された空間のすべてを言葉で表現できるわけではないですが、議論できることはあります。単につくることだけでもない、単に議論することだけでもない建築の面白さに向けて、本日われわれが最優秀賞を選ばなかったということの意味を今後考えていただけるとよいと思います。

小堀 哲夫
「帰りたい家」とは、シンプルかつ切実なテーマです。世界各地に帰る場所を失う人びとがいる現代において、帰りたいとは自分以外の他者やものとの繋がりを求める本質的な思いです。しかし皆さんの提案は、どこか自分の思考に囚われ、他者への視点が欠けていたように感じました。これからAIの発達により、既存の情報を引用するだけの設計が増えていくかもしれませんが、自らの手でものをつくるエネルギーはAIには代替できません。模型を通じて、その空間がどう使われるのか、かたちにどのような意味があるのかを、もっと自信をもって示してほしいと思います。建築をつくることは、本来創造的でポジティブな行為です。不穏な時代だからこそ世界を広い視野でとらえ、今、建築に何ができるかを考えていただきたいです。

八田 哲男
私たちの仕事で最も大切なのは、明るく楽しく取り組むことです。300組以上の応募から選ばれた7組として、もっと自身の考えに自信をもち、この晴れ舞台を楽しんでほしかったというのが率直な感想です。皆さんの提案は、非常に興味深く高い実力が感じられました。今後は表現者であると同時に、技術者として自らの技をさらに深く掘り下げていくことを期待します。一方で、この仕事で成功する秘訣は、自分の考えを相手に正確に伝えることです。ひとりよがりにならず、相手のニーズを的確にとらえたうえで、自身の考えを理解して採用してもらうプロセスを大切にしてください。楽しそうに語る姿こそが、人の心を惹きつけます。今回の経験を糧に、若さ溢れるエネルギーをもって、また挑戦していただけることを期待しています。

大野 潤也
総じて提案の内容と表現されていることが読み取りづらく、審査は難航しました。今回の「大和ハウス工業賞」は、Tan Yuanさんと王さんの「遊び心、忘れていませんか」を選出しました。審査委員の中でも考え方や票が割れましたが、やはり童心をもう少し大事にしないといけないという気づきを与えていただいた点を評価しました。私たちは実務に取り組む中で、今現在の使い勝手や老後はどうなるかといった現在から未来の時間軸を大事に設計をしていますが、過去を考えることは忘れがちです。幼少期を振り返り、自分とは何者かということやアイデンティティを設計に織り込んでいくと、その人ならではの住宅になるという新しい視点も高く評価しました。

優秀賞 おばけと怪獣の家

優秀賞 deceleration

優秀賞 ガスと三角点

大和ハウス工業賞/入選 遊び心、忘れていませんか

入選 いえの状態 わたしの状態

入選 SUPER PARALLEL IMAGE

入選 ヴィラヴィッラ

大和ハウス工業賞の特別審査委員として、弊社社員も参加しました

村田副社長より開会の挨拶

総評

表彰式

表彰式

審査委員を囲んでの集合写真
秋吉 晃弥(フリーランス)
閑念 真優(京都大学大学院)
僕たちは設計の起点として、純粋に心地よいと思うものから始めることにした。たとえば、こもりたい、カーテンを全開にしたい、共感してくれる家が欲しい、煙突が欲しい、青いタイルを貼りたいなどだ。しかし、これらはスケールをもつものもあれば、もたないものもあり、全体をつくっていくことは少し難しい。そこで「おばけ」と「怪獣」という言葉を使うことにした。怪獣は質量と実体があり、とらえられるもの。おばけは実体がなく、どうとらえるかはその人によるものと定義した。そしてこれらふたつを繋げるものとして、「くるむ」ということをした。怪獣は空間の背後にあるもので、おばけはこの家を介して起きるものと暮らしていく存在だ。同じ大きさ、同じ材、同じかたちの空間だとしても、その背後にいる怪獣の存在によって、そこにはきっと違うおばけができるのだと思う。こうして空間の背後にいる怪獣の存在を暮らしながら少しずつ知っていくことは、僕たちが友達をつくることと似ているのかもしれない。(プレゼンテーションより抜粋)





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岩切 ゆう(東京藝術大学大学院)
白崎 暉(法政大学大学院)
帰りたい家は、諸存在が同化し、同化されるための設えとして、〈さまざまな境界〉で構成された多層的な〈減速作用〉の空間である。〈帰る〉という営みの本質は、対象やイコンではなく、ヒトが内向的に収縮し、他者と同化するベクトルにあるのではないだろうか。発散し他者へ手を伸ばす、どこかへ行くという行為の鏡合わせに、収縮し他者と同化する、〈帰る〉という営みを見る。たとえば椅子に掛け窓の外を眺めながら、出会った物語を反芻すること。たとえば寝台で微睡みながら景色を回想し思い出へ紡ぐこと。同化する他者に応じ多層性をもつ〈帰る〉という営みを、減速という力動≒ベクトルととらえる。私たちは、家と外の境界であるドアを超えてなお、家の中の〈一様な境界(t=20mmのドア)〉を通り、さまざまな他者の同化を試みる。帰りたい家、そしてそれを構成する境界は、さまざまな他者と同化する多層的な営みのために設えられるべきである。本来、多様な表れをもつ〈境界〉が構成する、減速作用の家=帰りたい家を提案する。(プレゼンテーションより抜粋)





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秋本 寛太(フリーランス)
ガスってしまった。風はない。ギリギリ見える水の粒が空中浮遊していて、大きな塊となって私を包む。視界のほとんどを埋める白の奥に、確かな岩の輪郭を見て、手を伸ばす。遠くで転がる石、そよ風で揺れる松葉、鼓動で揺れる私の重心。感覚がガスに溶けていく。見えない基準に私を当てはめる。本計画は、森林限界を越えた山岳地帯を対象に段階的に形成される山岳避難小屋を提案する。求められる性能は、悪天候下での高い視認性、厳しい環境での強度と、そして必要最小限の人が滞在できる設備である。山はガスや雪、雨、人の足跡などによって条件が一定とならない。故に事前にすべてを設計することは現実的ではない。本計画では、第1段階として簡易的な拠点を設けることとする。山は見えきらない。当たり前な地面はない。微かな頼りを自らの身体で補完する。山道を10km歩く中で、1cmの岩の突起に安心して指を掛ける。ガス、ガス、ガス。溶けた五感に誰か見える。来年も歩く私に必要なあの形状は確かに私の基点のひとつだ。(プレゼンテーションより抜粋)





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Jaylene Tan Yuan(京都精華大学)
王 宇龍(京都精華大学大学院)
私たちは、共に京都に暮らす外国人であり、幼少期に育った環境や文化もそれぞれ異なっている。しかし私たちには、歴史や伝統をはるかに超えて共有される身体経験がある。それは文化や記憶の差異を越え、人間の本能そのものに根ざした感覚である。私たちは、子供の天真さという、より原初的で、本能的な身体経験を信じている。それは美しく、生命力に満ち、子供らしい純真さと遊び心を保つことで、人の感情や記憶を呼び覚ます力をもつ。人間の身体経験は認知に先立って存在する。だからこそ私たちは「純真さ」を信じている。それこそが、私たちが「帰りたい家」を思い描く理由だ。(プレゼンテーションより抜粋)
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飛田 昌克(芝浦工業大学大学院)
中川 蓮也(芝浦工業大学大学院)
ある時には、大好きな愛犬に会いに行くところ。またある時には、キリの悪いところで終わった作業を片付けるところ。私の心や身体の状態によって、帰りたい家は変化する。ある時には、家族が騒がしく、ひとりの静けさに浸りたいと感じる自分。またある時には、家族団欒の温度の中で、複数人と共に居たいと思う自分。家の雰囲気や状態が、私のふるまいを変化させる。家の状態/私の状態の両者の関係は絶えず変化していく。この家では、〈状態〉を選べる家を提案する。そこでふたつの操作を行った。①複数の扉を設ける②複数の居場所を設ける。〈帰りたい家〉とは固定されたものではなく、家の状態と私の状態を選べる家である。(プレゼンテーションより抜粋)
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坂本 紘都(近畿大学大学院)
特徴的なカタチは設計者自身の記憶や、世界に存在するあらゆる形態群を参照している。この極私的イメージを起点とする形態の断片群を過剰に発散させ、ついには合成させる。そうすると、私のだったはずのイメージはその過剰な速度により誰かのイメージへと捻じ曲がってゆく。また、架構、設備、敷地周辺に内在するグリッド、シンメトリー、家型などの比例体系を拡大解釈し、同じくイメージとして取り込む。敷地は複数挙げ、それぞれへの応答を並行してドライブすることで離れた場所にあるはずのものが相互作用し、建築の解釈をさらに拡げることになる。複数の語り口を含んだ、いくつものイメージの重なりが、この建築の現れとなっている。(プレゼンテーションより抜粋)
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今井 優稀(日本大学大学院)
迫田 空良 松森 大洋 落合 利安生(日本大学)
ヴィラヴィッラは郊外にある森林の中に建つ別荘である。この家には現在、4世帯が暮らしている。集まって住むかたちはそれぞれで住む人たちも変わる。時間の経過により人びとの認識は変わってもヴィラヴィッラはそこに存在し続けるだろう。私たち4人は「帰りたい家」という虚構をつくるために案を出し合った。すると、私たちは無意識のうちに「帰りたい家」を住宅の原空間と認識していた。私たちが考えた原空間(帰りたい家)は虚構だ。しかしながら住宅は実体である。柱があり壁があり屋根があり、そしてその屋根の下で私たちは生きている。だから私たちは「帰りたい家」という虚構を、生きるための家へ、つまり実体にすることに注力した。 (プレゼンテーションより抜粋)
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小濵 嘉耶(北海道大学大学院)
中野 馨文(北海道大学大学院)
人の気分は上下するけれど、家というものには気分がないし、なかなか変化もしてくれない。もし、私の気分に反応して家が変化してくれたなら、どんな暮らしができるだろうか。壁の中に入ることができたり、家が自由自在に変化してくれたなら、憂鬱なときでも家に帰りたくなったりするだろうか。気分があるのは人だけじゃない。地球にだって気分はある。気分によって晴れたり雨を降らせたりするし、規則的に動いて見える太陽だって、毎日日が昇る時間は違う。もし、地球(空や光)や誰かの気分に反応して、家の中の空間が多種多様に変化してくれたなら、私の気分に合わせて好きな居場所を選べたりするだろうか。 (応募案より抜粋)

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上高原 将礼(京都建築事務所)
自邸を設計することにした。幼い頃、私は生物図鑑をよく読んでいて、その絵を見せながら生き物の話をするのが好きだった。そんな幼児期を過ごしたおかげか、今でもそれなりに生物の知識は残っているし、生物が今でも好きである。しかし現在、気候変動が進み、私たちの暮らす環境は不安定だ。人間が農耕を始めた1万年前から今日まで、私たちは環境を支配し、他の生き物を利用してきた。18世紀のアダム・スミスから始まる資本主義の「最大多数の最大幸福」に、人間以外は含まない。他を蔑ろにしてきた私たちは果たして幸せだろうか。私の家の計画は、私たちの概念を拡張して、生物全体の最大幸福を考え始めるものである。(応募案より抜粋)

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山岡 源(フリーランス)
少し退屈な〈現実〉から遠ざかることを願い、今より輝いている(かもしれない)〈理想〉に近づくために、われわれはユートピア的なイマジネーションに心をときめかせる。しかし、その〈現実〉と〈理想〉が時間経過や慣れによって反転することは容易に想像でき、暫定的なユートピアを「家」として固定することはあまりにも欲望的すぎる。入れそうな開口と、それへ導く通路のようなものを準備する。たとえば、庭先の祖母に声をかけてベランダから上がるように、サンタクロースが煙突から侵入するように、住まい手はその日の気分や出来事に応じて「今日の帰り方」を選択し、毎日異なる1日の終わりを、自ら演出していく。今日のユートピアに向かうために。(応募案より抜粋)

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鈴木 雅也(鈴木雅也建築設計事務所)
帰りたい家とは、「守られる家」だと考えた。守られるというのは、家の本質的な目的であり、機能である。身を守られ、安心できるからこそ、動物が巣に戻るように、人は家に帰りたいと思うのではないだろうか。竪穴式住居の形式は、時代的な工法や材料の制限により必然的に生まれたとされている。その一方で、身を守ることを具体化したような空間構成……地下に潜り、火を囲み、大らかな屋根が架けられた巣のような空間構成は、対自然に対して物理的・心理的に身を守ることを表現した造形ではないかと考えた。このような竪穴式住居の空間構成や風景との調和を倣いながら、現代における「守られる家」を提案したい。 (応募案より抜粋)

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张 泽宏(South China University of Technology)
罗 若彤(South China University of Technology)
Rainy days were once joyful memories from childhood, but as we grew up, filling our lives with various responsibili-ties.Yet on the way home, as headlights approached, we could still see raindrops bursting into blossoms of water on the asphalt road.After lying vacant for an extended period, the site has evolved into a pathway connecting the north and south. With the emergence of the new studio, it is hoped that this pathway can be preserved. The greenhouse can become a daily feature. linking the small park to the north with the faculty housing to the south. (応募案より抜粋)

To the song of rain,
I behold the dance of flowers<PDF:3.96MB>
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藤本 翔大(フリーランス)
小さい頃、家に帰るのは玄関からだけではなかった。虫を捕まえた時には、祖父のいる縁側から上がり込んで、お腹が空いた時には、母のいるキッチン脇の勝手口から飛び込み、親と顔も合わせたくない時は、自分の部屋の窓から忍び込んだ。家の〈なか〉での生活に惹きつけられて、あるいは家の〈そと〉での生活に突き動かされて、その日その時の〈帰りたい〉感覚によって、あらゆる開口が家への入口になった。〈なか〉と〈そと〉ふたつの間に生じる〈帰りたい〉を滑らかに繋げる入口のある暮らしを考えてみる。住み手は、〈なか〉と〈そと〉の心地よい繋がりを自らの手で発見しながら暮らす。 (応募案より抜粋)

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中谷 亮介(立命館大学)
人が帰りたいと感じる住宅は、子供の落書きや生活のシミや傷、余計に付け足した棚や庇といった「雑音や痕跡」が積み重なった場所である。つまり、完璧さではなく、不完全こそが帰属意識を生む。寄生=雑音が秩序を生む条件である。その構造を建築として翻訳した本計画は、哲学者ミシェル・セールの思想を建築に翻訳した住まいの提案である。中央の核=空洞は、変わらず守られる秩序を象徴し、生活の基盤をなす。外周の回廊には必須機能が配置され、生命活動を支える器官の役割を果たす。そして、回廊の外側に付加される寄生ユニットは、雑音として家族の余剰や痕跡を外に滲ませ、住まいを未完成のまま成長させる。(応募案より抜粋)

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堀井 七海(金沢工業大学大学院)
モノやヒトは愛し共にいることで〈私〉自身に埋没していく。心の喪失感とは裏腹に、存在し続けるモノを鬱陶しく感じることがある。どうしようもなく愛おしかったものを忘れ去りたくなる日もあるにも拘らず、〈私〉とは距離が近すぎて、離れがたいのに捨て去りたくなる。嗜好や記憶など私自身を定義づけるそれは、どうやっても取り払うことはできない。だからこそ、まったくの他人に対して羨み、妬み、愛し、憎むように、自分自身を受け入れるだけでなく素直に想いたい。昨日の自分や、私を取り巻く環境から一歩身を引いて〈私〉自身を見守り、関わりたい。そうやって生きることを許してくれる家に、私は帰りたい。(応募案より抜粋)

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佐藤 梛(千葉工業大学大学院)
田仲 倖雪(千葉工業大学大学院)
住宅に囲まれ、朝から日中にかけ日が入らず西陽がよく入る敷地である。西陽が部屋を染め、夜を迎える支度をする。嫌われがちな西陽を暮らしのリズムを生む存在として受け止め、長い夜を過ごしたくなる住宅を設計した。西陽を受けることで輝くこの家は、まっすぐに帰りたくなる家として日々の終わりにそっと寄り添う。この建物に表出するパラボラアーチは西陽を集約、拡散させる効果をもつ。一軸的な時間の流れを強調する西陽はパラボラで受けることで柱の裏までも照し、西陽しか入らない狭小地に対して、ムラのない均質な様相をつくり出している。 (応募案より抜粋)

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上林 竜也 飯田 雅 廣澤 陸(京都工芸繊維大学大学院)
河邊 拓実 中矢 晃輔(京都工芸繊維大学)
学校から帰ってきた玄関の前で家の鍵を忘れたことに気づく。両親は仕事で夜まで帰ってこない。このまま待ちぼうけを食うにはいささか退屈すぎる。どうしても家に帰りたい。どうにかして帰りたい。家の内側ではなく、外壁や外構などの家を取り巻く環境を設計する。提案するのはあくまで、散らばった「きっかけ」たちを自身の身体感覚と結び付けるプロセスである。熱烈な「帰りたい」気持ちを孕んで挑んだ帰宅大作戦は、心躍る体験として胸に刻まれる。身体感覚が養われていく場が家の「ナカ」で完結することなく、家の「ソト」にも拓かれていくことで「帰りたい家」の概念もまた、拡張されていく。 (応募案より抜粋)

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