メニュー
Sustainable Journeyは、
2024年3月にリニューアルしました。
連載:5分でわかる!サステナブルニュース
2026.2.27
きらびやかで海が近いというイメージを持つ、巨大都市・横浜。ですが、この横浜の中に“限界集落”があると聞いたら、驚く人もいるのではないでしょうか。それが、JR港南台駅から車で約15分、古都・鎌倉にもほど近い内陸に位置する栄区です。
高度経済成長期、主要都市郊外にニュータウンがこぞって開発されました。大和ハウス工業が開発を主導した「横浜上郷ネオポリス」は、1973年に約870世帯が暮らすまちとして誕生しました。当時は賑わいを見せていましたが、時代の移ろいとともに住民の高齢化が進み、子どもたちの多くは利便性の高い「外」へ出ていきました。いつしか高齢化率は50%を超え、メディアは「都市の限界集落」と報じるようになります。
ですが、このまちは今、活気を取り戻し始めています。「緑も多く子育てしやすいまち」として、若い世代の移住も増えています。その再生のキーワードは「産・学・官・民」の連携にありました。
今回は、この横浜上郷ネオポリスの「再耕」の物語を、4人のキーパーソンたちの視点から紐解いていきます。
企業として住民に寄り添う大和ハウス工業の岩見武敏さん。住民たちの中心に立つ、上郷ネオポリスまちづくり協議会座長の吉井信幸さんと、開発当初から50年以上このまちに住み続ける、同協議会事務局長の小西淳一さん。12年前に移住し、母親目線でまちを見つめるタウンクリエーターの小松めぐみさん。それぞれの立場から見た、まちの歩みと未来とは。
「ここは、横浜上郷ネオポリスが生まれ変わった象徴の一つなんです」。
そう語るのは、このまちに約50年住む吉井さんです。案内してくれたのは、まちの中心に位置するコミュニティ拠点「創テラス」。元々は読売新聞の配送所だったこの場所は、今や世代を超えた住民たちの憩いの場となっています。
この日も、中をのぞくと試験勉強に励む学生や、談笑しながらスマートフォンを操作する高齢の女性たちの姿がありました。放課後には中学生たちが集まっておやつを広げることもあると言います。
創テラスの管理・運営に携わるタウンクリエーターの小松さんは「実際にここを使うようになって1年半ほどですが、放課後になると中学生がわちゃわちゃしていますよ。おやつを食べたり、勉強をしたり。気軽に立ち寄れる場所があるとまちが活気づくんです」と明かします。
タウンクリエーターの小松めぐみさん。
まちの変化はここだけではありません。創テラスの斜め向かい側には、コンビニエンスストア併設型のコミュニティ施設「野七里テラス」がオープンしています。今では住民にとって欠かせない便利なスポットとして賑わいを見せています。
「いかに住みやすいまちを創りつづけるか、“リブネス(live-ness)”を考えたプロジェクトを『リブネスタウンプロジェクト』として各地で進めています。横浜上郷ネオポリスはその第一弾なんです」(岩見さん)
大和ハウス工業の岩見武敏さん。
約10年前まで「限界集落」と呼ばれていたことが嘘のように、まちには徐々に活気が戻りつつあります。しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
1970年代、まだ木々が生い茂る横浜の一角を切り拓き、横浜上郷ネオポリスは産声を上げました。東京ドーム約10個分の広大なニュータウンに、約870世帯が移り住んできました。1973年に入居が始まった当初は、コミュニティどころか、地域の伝統行事も何もありません。まさにゼロからのまちづくりでした。
「ニュータウンだから、お祭りもソフトボール大会も、全部自分たちで手づくりで始めたんです。誰かが『やろうぜ』って言い出して、そのエネルギーでまちができていったんですよ」(吉井さん)
上郷ネオポリスまちづくり協議会座長の吉井信幸さん。
自分たちの手で豊かなコミュニティを築き上げてきました。時は高度経済成長期、吉井さんたち「第一世代」は早朝に起きて深夜に帰宅するのが当たり前でした。
吉井さんと同じく、横浜上郷ネオポリスに約50年住む小西さんは「当時は、東京の五反田まで通っていましたね。1時間半はかかったかな……。そりゃ大変でしたけど、当時はそれが当たり前でしたから。でも子どもたちはそれを見て『ああいう働き方はしたくない』って思ったのかもしれませんね」と振り返ります。
小西さんたちの子どもたちの「第二世代」になると「都心回帰」は顕著になりました。小西さんのお子さんたちも社会人になるとともにまちの外に出ていってしまいました。
上郷ネオポリスまちづくり協議会事務局長の小西淳一さん。
気づけば空き家が目立ち始め、2006年には小学校も廃校に。シャッターが下りたままの商店街が、まちの寂しさを物語ります。緑豊かで静かなベッドタウンは、いつしか「通勤に不便な立地」と見なされ、新聞やテレビはこぞって「ベッドタウンの限界集落」として横浜上郷ネオポリスやその周辺の地域を取り上げるようになりました。
「自分たちが住んでいる場所が『限界集落』と呼ばれていると知った時は、本当に驚きました。『え、ここ横浜なのに?』って。限界集落って山奥の村の話だと思っていたんです」(吉井さん)
そんなまちの変化を、少し違う視点から見つめていたのが、12年前に結婚を機に移住してきたタウンクリエーターの小松さんです。新しい住民だからこそ見える景色がありました。
「外から来た私にとって、このまちは緑が多くて、子育てするにはとても良い環境だと感じていました。ですが、子ども会の運営が難しくなったり、住民同士のつながりが薄れていくのを肌で感じていました。このままでいいのだろうか、という漠然とした不安がありましたね」(小松さん)
自分たちの住むまちの未来が見えない。そんな住民たちのやり場のない不安が静かに溜まっていく一方で、この状況に責任を感じていたのが、開発主である大和ハウス工業でした。
「家を売って終わり、でいいのか。まちをつくった我々にも責任があるはずだ」。
社内でそうした声が上がり始めたのは、2010年代のことでした。「儲かるからではなく、世の中の役に立つからやる」という創業以来の精神に基づき、全国に61あるネオポリスを「再び耕す(再耕)」ためのプロジェクトが始動します。
しかし、その道のりは困難を極めました。吉井さんはこう振り返ります。
「最初は不信感しかなかったですよ(笑)。30年以上、特に何の関わりもなかったのに、今さら何をしに来たんだ、と。何か新しい商品を売りつけられるんじゃないかって、みんな警戒していました」(吉井さん)
その警戒を解くため、大和ハウス工業が徹底したのは住民と向き合うことでした。リフォームのチラシを配るなどの営業活動は一切せずに、当時の横浜上郷ネオポリスの担当者たちは、ひたすら住民の声に耳を傾けることから始めました。
長年ここに関わってきた岩見さんは「最初は本当に小さなことの積み重ねでした。ご高齢の方向けにスマホ教室を開いたり、何か困りごとを聞けば相談に乗ったり。まずは、私たちを信頼していただくことが第一歩だと考えていました」と明かします。
地道な活動は、少しずつ住民たちの心を溶かしていきました。大和ハウス工業の社員が企画し、野七里テラスのコンビニエンスストアで三浦半島の朝採れ野菜を販売すると、多くの住民が集まって賑わいました。社員たちはまちのイベントにも頻繁に顔を出し、住民たちと一緒になって汗を流しました。
「本気でまちを盛り上げようとしてくれているのが伝わってきたんです。これは、単なるビジネスじゃない。住宅メーカーが、自分たちがつくったまちに最後まで責任を持とうとしている。これは日本でも初めての、すごい挑戦になるんじゃないかと感じるようになりました」(吉井さん)
「民(住民)」と「産(大和ハウス工業)」の間に信頼の芽が育ち始めた頃、そこに「学(東京大学・明治大学)」と「官(横浜市・栄区)」が加わり、プロジェクトは「産学官民連携」の一大プロジェクトへと発展していきます。
まず行われたのは、大学の専門家による全戸アンケート調査でした。その回収率は、実に88%という驚異的な数字を記録します。
アンケート用紙にびっしりと綴られていたのは、「交通・買い物の不便さ」「高齢者の見守りの必要性」「住まい手同士の交流減」といった、多岐にわたるものでした。中には「この先も安心して住み続けられるのか」「この住環境をどう維持していくのか」という住民たちの切実で、熱い思いもありました。
住民の思いという羅針盤を得て、横浜上郷ネオポリスの「再耕」は大きく動き出します。その象徴が、前述したコンビニエンスストア付きコミュニティ拠点「野七里テラス」の建築です。第一種低層住居専用地域であるこのエリアにコンビニを建てることは、本来法律で認められていませんでした。
しかし、住民の強い要望を叶えるため、大和ハウス工業は法律の緩和を活用し、2年がかりで建築の許可を実現。全国の同様の課題を抱えるニュータウンのモデルケースとなる、画期的な出来事となりました。
「SDGsには『つくる責任、つかう責任』という目標があります。まさに、まちをつくった大和ハウス工業と、そこに住み、まちを使う我々住民が、一緒になってその二つの責任を全うし、次の世代にこのまちをつないでいく。それが、このまちにとってのサステナビリティなんだと思います」(吉井さん)
横浜上郷ネオポリスの情報を発信する新聞を、月に1回発行しています。編集長を務めるのは小西さんです。
実は、岩見さんは2年前に横浜上郷ネオポリスに自宅を購入し、1年前に移住してきた「新しい住民」でもあります。
「仕事としてこのプロジェクトに関わるうちに、私自身がこのまちが大好きになってしまったんです。住民としてまちの魅力を自分の言葉で伝えていきたい。そう思うようになりました」(岩見さん)
企業の担当者としてではなく、一人の住民としてまちに溶け込み、未来を語る岩見さんの姿は、企業と住民の新しい関係性を象徴しているようです。
一時は減少が続いていた若年層も、子育て世帯の転入とともに底打ちし、増加が続いています。
「都心から距離があるので、公園も緑も多いんです。地盤も安定してるんですよ。それに都心から離れてるってことは土地の値段も安いってこと。リモートワークが増えてきて、都心から離れて働けるようになったのも追い風かもしれません」(小松さん)
2024年には、全国のネオポリスの代表者が集う「ネオポリスサミット」も開催されました。それぞれのまちが抱える課題や成功事例を共有し、連携を深めるこの取り組みは、持続可能なまちづくりの輪を全国に広げていくための重要な一歩です。
「もちろん、この『上郷モデル』が全てのネオポリスにとっての万能薬ではありません。住民の顔ぶれも違えば、抱えている課題も一つひとつ異なりますから。だからこそ、私たちは全国に61あるネオポリス、その一つひとつに合った、61通りの未来のスタイルを、住民の皆さまと一緒につくり出したいと考えています」(岩見さん)
「売ったらおしまい」の関係を超え、企業と住民がパートナーとして手を取り合い、未来を紡いでいく——。横浜上郷ネオポリスの挑戦は、日本の多くの住宅地がこれから直面するであろう課題への、一つの希望の光を示しています。
大和ハウスグループも「生きる歓びを、分かち合える世界」の実現に向け、様々な取り組みを進めていきます。

Sustainable Journeyは、
2024年3月にリニューアルしました。