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連載:いろんな視点から世の中を知ろう。専門家に聞くサステナブルの目
2024.12.26
本連載では、「サステナビリティ」の現場に向き合う当事者たちの声を、寄稿形式でお届けします。
今回は、「海のサステナビリティ」に取り組むフィッシャーマン・ジャパンCo-Founderであり、サストモ(旧:Yahoo! JAPAN SDGs)統括編集長・長谷川琢也さんが登場。今回のテーマは「海中の変化と私たちの生活」です。世界三大漁場といわれる宮城県の三陸沖で、今、大きな変化が起きていると言います。
2024年の夏、とても暑かったのを覚えている方も多いのではないでしょうか。実際、2024年は観測史上一番暑い年と発表されました※1。その裏では、海の中でさらに大きな変化が起こっていました。なんと、海中の温度が約5℃も上昇したのです※2。海中の温度が1℃上がると気温が10℃上がるのに匹敵する影響があるといわれることもあり、その深刻さを思うと、驚かずにはいられません。
太平洋の東側、南米・ペルー沖の海水温が上がり、逆にフィリピンやインドネシア、パプア・ニューギニアなどの太平洋の西側の水温が下がる現象を「エルニーニョ現象」といいます。東側と西側の水温差が極端になることで発生し、大型台風や集中豪雨などの異常気象が起きやすくなります。実際、三陸沖の海水温は例年に比べて高く、海水のヒートマップを見ると、周辺エリアは真っ赤になっていました。
NOAA Satellite and Information Service「Daily Global 5km Satellite Sea Surface Temperature Anomaly」のデータ。2024年12月14日現在でも、三陸沖の水温の高さがわかります。
この地域は、世界でもトップレベルの海水温上昇率を記録していたのです。頻繁に海に入っている方々からは、「まるで温水プールのようだ」という声も聞かれるほどです。
猛暑により海水温が上がったことに加えて、三陸沖の異常な海水温上昇の裏側には他にも原因があります。その一つが黒潮の北上です。
通常、黒潮は四国から和歌山、東京湾沖へと日本列島沿いに北上します。しかし、偏西風や貿易風の影響によって、黒潮が大蛇行すると、和歌山・潮岬付近で南に進路を変え、日本列島から250~300kmほど迂回して流れるようになります。この大きな変化が、三陸沖の環境にも影響を与えています。従来、三陸沖では黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかることで豊富なプランクトンが生息し、多くの魚類が集まる好漁場となっていました。
ノルウェー沖、カナダ・ニューファンドランド島沖のグランドバングに並んで、三陸沖が世界三大漁場の一つとされるのも、この独特な環境が理由でした。しかし、黒潮の北上により、暖かい海流が三陸沿岸に入り込み、寒流である親潮は北に押しやられて入ってこなくなる。親潮と黒潮が三陸沖でぶつからなくなる年も出てきたのです。
こうした潮の変化はさまざまなところに影響を与えていて、例えば「サンマの不漁」の原因にもなっています。サンマは冷たい親潮を好むため、親潮に乗って南下するのが一般的でしたが、今ではそれが難しくなってしまいました。他には海の砂漠化、ともいわれる「磯焼け」を招いています。一般的にはウニは水温が下がると活動を停止しますが、水温が温かいと活動し続けるため、海藻が成長しないといけない冬の時期に海藻を食べ尽くしてしまいます。
さらに深刻だったのは養殖業への影響です。ホヤや牡蠣は全滅に近い状態になったといわれていて、漁師の方に話を聞くと、「ゴミ(死んでしまった牡蠣)の山から、生きた牡蠣を探さなければならなかった」というほど悲痛な声が上がっていました。
2023年も多くの牡蠣が死滅し、2024年には生き残った牡蠣も死んでしまったと言います。
こうした海中の変化はアカデミックな分野で研究されてきましたが、漁師たちの間ではあまり取り沙汰されてきませんでした。「数年たてばまた元に戻る」と楽観視する声も多く聞こえました。ですが、この1、2年でその声が如実に変わってきたんです。「これは本当に大変なことになっているのかもしれない…」と声に危機感がにじむようになりました。
一方で、海の研究をしたい大学や研究者たちからすると、毎日海に出ている漁師たちは情報の宝庫です。彼らの生の声を聞きたいし知恵も借りたい。そこで、これまで距離のあった両者をつなげるべく「フィッシャーマン・ジャパン研究所(以下、FJ研究所)」を立ち上げました。
また、FJ研究所で実現したいことの一つに「シティズン・サイエンス」=「市民の科学」があります。これは海外では確立している活動なのですが、 国や研究者に任せきりにするのではなく、市民自らが社会生活の中で疑問に思ったことを調べた上で、その結果を研究者と共有しながら問題解決に役立てるという取り組みです。
シティズン・サイエンスを知ったのはデンマークを視察した時のことです。牡蠣が育たないといわれているデンマークのロラン島で、市民を中心に、地元の漁師や研究者と一体となって牡蠣養殖に挑戦しています。牡蠣の養殖を通して、みんなで水温や栄養源などについて学び合い、海のことを知ろうとする姿はとても印象的でした。
また、FJ研究所では、漁師たちの経験や勘をデータ化し、それを研究機関にフィードバックする活動にも力を入れています。さらに、東北大学の近藤倫生教授と協力し、「海の環境DNA」の研究を推進しています。環境DNAとは水中や土壌中など環境中に存在する生物由来のDNAのことで、これを調べることで、どの魚がどれだけの数生息しているのか、今後どのように増減するのかといった資源管理が可能になるかもしれません。
海中の変化は深刻ですが、ただ嘆いていても好転はしません。しばしば環境問題に対しては「緩和と適応」が大切といわれます。もちろん「緩和」を考えることは大切ですが、漁師一人の力には限界があります。FJ研究所では「適応」の方法も探りたいと考えています。
例えば養殖業の生産でいうと、海水温の上昇に合わせた種苗や稚魚の導入、新しい育て方の研究によって、死なない貝や魚ができるかもしれません。生産と同時に加工や流通も変革が必要で、今まで獲れなかった魚をどう売っていくかを考えないと、獲れなくなってしまった魚の売上を補塡することはできません。
日本で有名な例が、函館です。「函館といえばイカ」といわれるくらいの名産品でしたが、近年、イカの記録的な不漁が続き、西の魚であるブリが大量に取れるようになっています。なんと2020、2021年には北海道のブリの漁獲高は全国で一位となりました。そこでイカの代わりにブリを全面的に打ち出して、「函館ブリフェス」を開催したところ、大きな人気を博しています。これくらいの柔軟さがあってもいいと思うんです。
実際、三陸沖でも新しい魚種が見られるようになっています。「冬の魚」の代名詞的な存在であったタラが姿を消しつつある一方で、「西の魚」といわれていたタチウオやサワラが水揚げされるようになりました。他にも石巻でも伊勢海老が揚がるようになっているのも特徴的です。さらにはハワイでは"マヒマヒ"として有名なシイラが石巻でも姿を見せるようになりました。
近代の日本では、地域ごとの特産の魚種を加工することを前提に、水産加工場を整えてきました。それ故、魚種の変化に対応できなくなっていました。FJ研究所では、人の力ではどうしようもないことや昔には戻らないという前提で話し合い、研究し、産業に落とし込むことで、適応力の高い人材の育成にもなると思っています。
海の未来を想像しながら、私たち一人ひとりができることを考えていきたいものですね。
フィッシャーマン・ジャパン Co-Founder SeaSO/サストモ(旧:Yahoo! JAPAN SDGs)統括編集長。1977年3月11日生まれ。 誕生日に東日本大震災が起こったことをきっかけに「ヤフー石巻復興ベース」を立ち上げ、石巻に移り住む。 漁業を「カッコよくて、稼げて、革新的」な新3K産業に変えるため、漁業集団フィッシャーマン・ジャパンを設立。サステナビリティに関するニュースやアイデアを届ける、サストモ(旧:Yahoo! JAPAN SDGs)統括編集長も務める。
大和ハウスグループも「生きる歓びを、分かち合える世界」の実現に向け、様々な取り組みを進めていきます。
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