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Sustainable Journeyは、
2024年3月にリニューアルしました。
連載:5分でわかる!サステナブルニュース
2025.10.31
日本各地の「卸売市場」が、静かに姿を消しつつあります。市場の数や取扱高は年々減少し、老朽化した施設は「負の遺産」とも呼ばれ、各地で頭を悩ませる存在になっています。いつの時代も、市場は生鮮食品の流通を支える根幹。その機能が失われれば、地域の食文化そのものが危機に直面します。
こうした状況に一石を投じたのが、富山市の取り組みです。核となるのは、定期借地権とリースを組み合わせた独自の事業スキーム——いわゆる「富山モデル」です。
その実現に向けて、複数の場内事業者との対話を重ね、営業を止めない特殊な工法を採用し、前例のない市場再整備に挑んでいます。
2020年の公募開始から足かけ6年のプロジェクトは、2026年秋に「D-Ichiba」として完成を迎える予定です。この取り組みは、単なる施設の更新にとどまらず、公共インフラの未来像を描き、地方の社会課題に民間企業がどう向き合うべきかを示しています。
大和ハウス工業で陣頭指揮を執る富山支店建築営業所の佐藤肇所長は、こう振り返ります。
「最初の10回、20回は、まともに話も聞いてくれませんでした」。
怒号が飛び交う現場から始まった、長期プロジェクトの全容を聞きました。
富山市場(現正式名称:富山市公設地方卸売市場)は、今から約50年前の1973年から運営が始まりました。開設当初は青果を中心に取り扱っていましたが、その後は水産へと拡大、「氷見のブリ」やホタルイカなど富山県の名産ともいえる海の幸を日本各地に送り出してきました。
ですが、人口減少に加え、ネット通販の拡大、産地直送のスーパーやサービスの増加など、流通構造の変化を受けて、取扱高は最も高かった1991年(平成3年)度に比べて半減しています。
「令和7年度市場概要(富山市公設地方卸売市場)」を基に編集部作成。
「取扱高は半分になっていますが、裏を返せば"まだ半分ある"んです。この半分が担う役割は、依然として非常に大きい。だからこそ、やめるわけにはいきません」。
問題は、建設から50年以上が経過し、建物や設備が老朽化していることでした。維持管理費は年々増大する一方で、人口減少に比例し自治体の予算も縮小していくため巨額投資はできない——。富山市はジレンマに陥っていました。
地方卸売市場数は、ピーク時の約半数へ減少。ほとんどの卸売市場で老朽化の問題を抱えているといいます。「卸売市場をめぐる情勢について(農林水産省)」を基に編集部作成。
この難題に対して大和ハウス工業が提案したのが、PPP手法※を活用して市場施設を建て替え、余剰地を民間収益施設として活用するスキームでした。
市の土地を大和ハウス工業が約30年間借り受け、大和ハウス工業を代表企業に地元企業や市場の事業者などで構成される「新とやまいちば創生プロジェクトチーム」が建設した施設を市に賃貸する仕組みです。30年後には更地にして返還する契約ですが、その時点で施設が有効であれば継続も可能。時代の変化に応じて柔軟に対応できる設計です。
※ 公共施設などの設計・建設・維持管理・運営などを、行政と民間が連携して行う手法。
財源の不安を抱えていた富山市にとっては、建設費を民間に任せることで初期投資や維持コストを大幅に削減でき、30年後には再契約・返還など柔軟な選択肢を確保できます。それ故、「負の遺産化」を回避する日本初の試みとして全国から注目を集めています。
「30年経った時、市場の変化や流通の変化に合わせて、その時々に適したスキームを再構築できる。これが最大の特徴です」。
D-Ichiba(青果棟・水産棟のある卸売市場と物流棟、事務所棟)の全景。
しかし、このプロジェクトの真の困難は、スキームの構築ではなく現場の合意形成にありました。卸売市場には卸業者、仲卸業者、その他場内関係業者など数百社が関わっており、それぞれの利害が複雑に絡み合っています。
2020年に市が公募を開始し、翌年2021年に大和ハウス工業が事業者として選定された後、佐藤所長らは本格的な説明に入りました。ですが、待ち受けていたのは激しい反発でした。
「最初の10回、20回は、ほとんどまともな話になりませんでしたね。説明会でも怒号が飛び交っていました」という状況に対して、佐藤所長らが選んだのは徹底的な現場主義でした。
「弊社のスタッフが朝から市場に出向いて、ずっと関係者と対話をし続けてくれました。彼らの努力には本当に感謝しています」。
大和ハウス工業富山支店建築営業所の佐藤肇所長。
対話の中で繰り返し伝えたのは、「将来像」と「課題解決の必要性」でした。現状維持では立ち行かなくなる未来を丁寧に説明し、新しい市場がもたらすメリットを具体的に示しました。
「今回の建て替えにより、時代に合わせた施設利用料への切り替えやルール変更をはじめ、関係者にとって急激な変化に思えるのも無理はありません。それに、将来の危機と言われてもなかなかピンときませんよね。でも、理解してもらうしかない。社会が変化している以上、市場も時代に合わせて変わっていく必要があります。丁寧に対話を続けました」。
徐々に理解者が増え始めると、その輪が広がっていきました。工事が始まって1年ほど経った頃には、多くの事業者が協力的になっていました。
市場の再整備でもう一つの大きな課題が、営業を継続しながらの建設でした。別の場所への「完全移転」ではなく、同じ敷地内で段階的に建て替える必要があったのです。
採用されたのが「ローリング計画」でした。広大な敷地の空きスペースに新しい建物を建設し、旧施設から段階的に移転する手法です。空いたエリアを解体してまた新しい建物を建てる。このサイクルを繰り返すことで、市場機能を止めることなく約4年かけて全体を刷新しました。
「築地から豊洲のような完全移転とは違って、富山の場合は"動きながら建てる"方式。駐車場の使用率なども計算して、空いたスペースにピンポイントで建物を建てていきました」。
佐藤所長たちは、市の方針で規模縮小となった市場を、動線の最適化や設備の近代化によって3分の2まで減らすことに成功しました。
取扱高の減少という事実がある一方、市場は地域の食文化の醸成も担う拠点です。規模を縮小しながらも、市場内事業者の協力も得ながら緻密なローリング計画を立て、従来の取引機能を維持することに成功したのです。市場のコンパクト化によって生まれた余剰地には、商業施設が整備される予定です。スーパー、ドラッグストア、家電量販店、スポーツ用品店などが集積し、地域住民の日常的な利用を想定した設計となっています。
2025年5月31日に市場施設の整備が完了。今後、写真手前の余剰地に商業施設が建設予定です。
同時に、商業施設には富山の特色を活かした「場外市場」としての機能も持たせる計画です。場外市場では、市場関係者や地元企業を中心に、生鮮食品を扱う物販店舗や海鮮丼、ラーメンなどの飲食店の誘致を予定しています。また、公設市場と連携した賑わいイベントの開催も検討しています。
「富山市場はこれまで一般の立ち入りが制限されたクローズド型でしたが、その特性を逆手に取り、場外市場として新たな価値を創出する戦略を採用しました。富山の食文化を集約することで、地域の日常生活インフラとしての役割と、観光資源としての魅力を両立させる設計となっています」。
商業施設の鳥瞰パース。
そもそもなぜ大和ハウス工業は、地方の卸売市場の建て替えプロジェクトに関与しているのでしょうか。佐藤所長は「私たちにしかできないという"自信"と、一方で"責任"がある」と話します。
「弊社は住宅から建築、商業施設、マンション、リースなど全国さまざまな地域で事業を展開しています。だからこそ、常に地域に貢献していく必要がある。また、幅広い事業領域に伴い、多様なスキルやスキームを持っているという点で、さまざまな課題を取りまとめながら進めるプロジェクトは、我々でなければできないという自信もありました」。
D-Ichibaは2026年秋のグランドオープンを目指しています。先述したように、地方の卸売市場の多くは老朽化を迎えています。横展開の鍵となるのは、「余剰地の活用」と「民間主導」の2点です。取扱高が減少した分の敷地を商業施設など付加価値を生む場として活用し、そこから生まれる収益とにぎわいで市場全体の持続性を高める。そのために、民間のノウハウと実行力を最大限活用する——この構造は、全国の多くの地域で応用可能です。
「最適解かどうかは、まだわかりません。でも、今考える中では、これが最善だと思います」。
富山で生まれた新しい官民連携のカタチ。「富山モデル」は各地の「負の遺産」を救うのでしょうか。最後に、佐藤所長にこの場からどのような未来が広がるかを聞きました。
「D-Ichibaは、もちろん建物の再整備事業です。でも本当に変えなければいけないのは、建物ではなく、人の考え方なんです。時代に合わせて変化していく——その意識を持つことの大切さを、プロジェクトを通じて示せたらと思っています」。
食文化を支える市場という地域インフラを、民間の知恵と実行力で再生する。ハード(施設)だけでなく、ソフト(意識)も変えていく。その挑戦は、日本全体が直面する社会課題への一つの答えとなるかもしれません。6年間の粘り強い対話と、30年先を見据えた柔軟な設計。富山から始まったこの実験が、今、全国の注目を集めています。
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