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特集 向井酒造

まごころ満開の酒造り

舟屋が立ち並ぶ京都府伊根町の伊根湾沿いに
江戸中期から続く小さな酒蔵があります。
今回は向井酒造で杜氏(とうじ)を務める向井久仁子さんに、
ふるさとと酒造りに込める思いを伺いました。

日本で一番海に近い酒蔵

海の京都・伊根町の伊根湾のほとりには、漁船の収納庫の上を住居とする「舟屋」が軒を連ね、潮騒の音が聞こえるのどかな漁港の景色をつくっています。向井酒造は江戸中期の1754(宝暦4)年、伊根に創業し、舟屋の一つを仕込み蔵として代々受け継いできた小さな蔵元。日本で一番海に近い酒蔵、そして日本で一番狭い酒蔵と呼ばれています。道路網が整備されていなかった時代には、そばの船着き場から海路で酒を運んでいたという話も。近年はお客さんがヨットや小型船に乗って買いに来ることもあるという稀有(けう)な蔵元です。

年間生産量約500万石の小さな蔵を有名にしたのは「伊根満開」という日本酒です。まるでロゼワインのように美しく透明な赤みを帯びた日本酒で、口に含むとフレッシュなフルーツを思わせる甘い香りと酸味が広がり、目も舌も楽しませてくれます。令和元年のG20大阪サミットの昼食でゲストにふるまわれた酒としても知られ、国内の有名レストランで食通をうならせているほか、海外にも多数輸出されており、カクテルのベースなどとしても人気です。

この不思議な赤い色は、地元の契約農家でつくられる古代米から生まれるもの。白米と古代米をブレンドして造られています。赤い色はワインにも含まれるポリフェノールという天然色素で、目の健康やがん予防の効果もあるそうです。

開発したのは向井酒造で杜氏(製造責任者)を務める向井久仁子さん。京都府内初の女性杜氏として1999年から杜氏を任され、酒造りの道を歩んできました。昔からの看板商品「京の春 大漁旗ラベル」をはじめとする他の銘柄も我が子のようにかわいいけれど、伊根満開はさまざまな出会いや成長をもたらしてくれた特別なお酒なのだとか。そこには久仁子さんと向井酒造の、知るほどに味わい深くなるストーリーが溶け込んでいるのです。

熱燗でも常温でも、夏はソーダで割っても美味しいという伊根満開。
個性的な味わいなのに、どんな料理にも合わせやすい秀逸な日本酒

京都府初の女性杜氏誕生

漁港の街に生まれ育ち、子どもの頃は漁師に憧れたという久仁子さん。12歳離れた弟がいたので、家業を継ぐなど全く考えずに10代を伊根町で過ごしてきました。ところが高校を卒業すると、親の勧めで半ば強制的に東京農大の醸造科学科に入学することに。初めは反発したものの、良き師や友人との出会いに恵まれ、幸せな機会を与えてくれた両親に感謝するようになりました。

大学卒業後は親孝行をしようと帰郷し、家業を手伝っていたところ、わずか1年で大きな転機が訪れます。家庭の事情で、父から杜氏の職を譲られることになったのです。原料になる米の発注方法さえ分からずに就任したため、仕込みの時期になっても米が届かないという非常事態を迎えることもしばしば。今となっては笑い話ですが、昔から蔵に勤めていた蔵人たちに反発されて、辛い時期を送ったと振り返ります。

それでも持ち前の負けん気を発揮して、久仁子さんは難局を乗り越えます。早朝から一人で蔵に入って麹を仕込む姿を見て、一人、また一人と蔵人たちが手を貸してくれるようになりました。

「杜氏の仕事はいい酒を造るだけじゃない。酒蔵の人達をとりまとめ、本人だけでなくその家族の生活を守ることまで考えないといけない。そう気付いたんです」

蒸した米に種麹をかけて米麹をつくる「麹室(こうじむろ)」の作業風景。室温や湿度を最適な状態に保ち、デリケートな麹菌を大切に育てます

自分らしさからできた酒を自信に

伊根満開が世に出たのは約20年前。久仁子さんが大学の卒業研究として開発に取り組んだ酒がベースになっています。師事した竹田正久先生は酒造りの権威で、米、米麹、水というシンプルな原料から多様な味を生み出せる日本酒の素晴らしさを教えてくれました。

これからの時代は日本酒にも個性が必要だと諭され、久仁子さんは赤い酒造りに取り組みます。酵母で赤い色をつけた酒はすでに存在していましたが、古代米の酒は前代未聞。地元の農家さん達の協力で古代米の栽培から始め、独自の日本酒を生み出すための研鑽(けんさん)が重ねられました。

研究を引き継いだ後輩らの手を経て、卒業から1年後、赤い日本酒ができ上がります。品質面ではまだまだだったその酒を、杜氏を任されたばかりの久仁子さんが味や香りを調えて完成させました。伊根満開は、向井酒造が通常1年かけて販売する量が3か月で売り切れるほどの評判を呼びました。

醪(もろみ)が発酵する様子。巨大なタンクに酒母(しゅぼ)を入れ、その後3回に分けて醪を加え、発酵させます

伊根満開が思いがけず有名になったものの、久仁子さんの心にはまだ「修業を積まず杜氏になってしまった」という負い目が残っていたそうです。そんな時、尊敬する先輩がこんな言葉をくれました。「伊根満開は久仁子だから造れた酒だ」。経験が少ないからこそ、新しいものづくりができたと言うのです。

目から鱗(うろこ)が落ちた久仁子さんは、以来、さまざまな酒造りにチャレンジします。流行の吟醸系や華やかな香りの酒も追究しました。昔ながらの方法で造る生酛(きもと)や山廃(やまはい)も復活させました。現在目指すのは、程よい旨みと苦みを感じる純米酒。いつまでも飲み疲れない素朴な味です。

仕込み蔵の2階の作業場で1階のタンクの中をかきまぜる久仁子さん。竿がぶつかりにくいよう梁を高く上げた合掌造りの建物は築100年を超えています

瓶詰めをした後、不純物が入っていないか最終確認をする蔵人

伊根満開に使われる古代米「紫黒米(しこくまい)」。表面の濃い紫色の糠(ぬか)部分から赤い色が生まれます

環境にも体にもやさしいお酒

「自分が本当に美味しいと思うお酒だから、自信をもって勧められるんです」。日本酒本来の在り方を啓蒙(けいもう)する「全量純米蔵を目指す会」にも加わり、醸造アルコールを使わない、純米酒の良さをもっと広めたいと考える久仁子さん。自身も一番好むというお勧めの飲み方は熱燗なのだとか。体温に近い温度によってアルコールが素早く体に吸収されるため、冷酒のように時間差で急に酔いが回ることがなく、体にやさしいのだそうです。

飲む人にも環境にもやさしい酒を造りたいという思いから、完全無農薬栽培米による「ひとやすみ」という銘柄も誕生させました。原料のコシヒカリは丹後半島の小さな集落・上世屋(かみせや)の棚田で、多様な生き物と共生する農法によって栽培されています。飲んだ瞬間、するりと体にしみ込む軽やかさと心地良さ。ラベルに描かれた村上暁人(ぎょうじん)さんの木版画の世界を舌で感じられるような、素朴でやさしい味わいです。

伊根湾を囲む約230軒の舟屋の一つが向井酒造の蔵。この土地にしかない、美しい景観があります

太陽の明るさで酒蔵を照らす人

秋に酒造りが始まると、シーズンが終わる春まで、杜氏は一日たりとも蔵を離れることがありません。麹を混ぜる工程は数時間おきに行う必要があるため、睡眠時間を削る日々が続きます。また、酒造りが終わると今度は全国各地の日本酒PRイベントなどに奔走します。

そんな久仁子さんを支えているのは、家族と、家族のように信頼し合える蔵人たちです。14代目社長に就任した弟の崇仁さんと、その妻の安紀子さん。結婚後も度々帰省して姉を助ける妹の聡子さんや母の裕美さん。そして頼れる杜氏のもとで酒造りに精を出す蔵人たち。彼らの心を一つにまとめ、蔵全体を明るく照らす太陽のような存在が久仁子さんなのです。

神の宿る「青島」(正面)が防波堤の役割を果たし、伊根湾はいつも穏やかな表情を見せています

久仁子さんには小学校1年と4年の息子がいます。手が足りない時には彼らもお手伝いをし、母の雄姿を間近に見ています。重い米袋はまだ運べませんが、「将来は杜氏になる」と頼もしく宣言しています。

自分が飲みたい、飲み飽きないと思う日本酒を造り、美味しいものをたくさん食べて、気の置けない仲間と語り合う。大好きなふるさと伊根の海のそばで、久仁子さんは思いやりに満ちた酒造りをいつまでも続けていきます。

のど越しが良く、食中酒として料理に合うことが向井酒造の酒の共通点。右が「生酛仕込み 特別純米原酒 ひとやすみ」。中央が「京の春 大漁旗ラベル」、左は「京の春 雄町 純米原酒」

PROFILE

向井 久仁子さん(むかい くにこ)

1975年生まれ。向井酒造の長女。東京農業大学応用生物科学部醸造科学科での恩師との出会いから、清酒製造の楽しさと奥の深さを知る。1998年実家の向井酒造に就職し、翌年から向井酒造の杜氏に就任。

創業260余年の歴史を感じさせる、趣のある蔵の外観

取材撮影協力

向井酒造株式会社

〒626-0423 京都府与謝郡伊根町平田67

TEL/0772-32-0003

http://kuramoto-mukai.jp/

2021年5月現在の情報となります。

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