
「米国住宅市場に
グループで挑む」
アメリカでのグループ購買はうまくいかない。あきらめにも似た空気を変えたのは、現場と実務を深く理解する人財が生み出したシナジーだった。



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米国でグループ購買を立ち上げる
創業から70年。大和ハウスグループは、さまざまな事業を通じて“日本”のまちなみをつくってきた。その活動は海を越えて“世界”へと広がっている。
海外に進出したのは創成期の1960年代。2026年現在はアジアから欧州、アフリカや中南米まで、世界26の国・地域に事業を拡大。グループ売上高5兆6000億円のうち“約2割”、グループ会社690社超のうち“約7割”が海外だ。
なかでもアメリカは「スマイルゾーン」と呼ばれる地域で、子会社の現地ビルダー3社による住宅開発・建設・販売事業が拡大。「米国戸建住宅」は海外事業の将来を担うエンジンとなっている。
しかし、順調に見える数字は、あくまでも結果にすぎない。言語や商習慣の違い、現地の信頼を勝ち取る難しさ、国境を越えたM&A……。その最前線に立っているのが、現地3社のひとつ、キャッスルロック社に籍を置く石濱だ。
初めて赴任した海外はアジアだった。そこで言われた一言を、石濱は今もよく覚えている。「取引をお願いしに行った先で『大和ハウスです』と名乗ったら、『釣り具屋さんですか?』と聞かれたんです」。日本ではすぐに通じる社名が、アジアでは全く通用しなかった。その国では無名だった大和ハウス工業の依頼など、どの会社も請けてはくれなかった。同様にアメリカでの活動も、逆風の中でのスタートだった。
アメリカの3社は戸建住宅事業を手がける会社で、2017年から順に、東部のStanley Martin Holdings(スタンレー・マーチン社)、西海岸のTrumark Companies(トゥルーマーク社)、南部のCastleRock Communities(キャッスルロック社)がグループ入りした。
その頃、石濱はアジアから日本に帰国し、海外戦略室にいた。日本本社と米国グループ会社の連携をどう進めるか。日米で会議を重ね、戦略と実行手順を整理していった。そのひとつが、3社共同で資材を調達する「グループ購買」だ。石濱は現地に腰を据えてシナジーを生み出すため、日本の会議室を離れてアメリカへ飛んだ。
ところが、現地には停滞した空気が漂っていた。「グループ購買はうまくいかない。ここに時間をかけるのは、もうやめよう」。3社にはそれぞれ長年築いてきたやり方や取引先であるベンダーとの関係がある。「グループで協業しよう」という理想だけでは動かない現実があった。
しかし石濱は、グループ購買を実現するためにアメリカへ来た。あきらめるわけにはいかない。「1年間だけ時間をください」。そう頼み込んだ言葉の裏には、「海外で働きたい」と自ら手を挙げたあの日の気持ちを、決して手放したくないという想いがあった。
邸宅感あふれる分譲地内の展示棟
屋根材はグループ購買を進める資材のひとつ
現在は暖炉やエアコンなども共同調達


現場を知る技術の人間が海外へ
石濱は、大和ハウス工業に入社してから30代半ばになるまで、戸建住宅や集合住宅の施工管理を担う技術部門にいた。業務の効率化や改善に積極的に取り組みつつも、基本は求められる役割を着実にこなすタイプの社員だった。
転機になったのはお客さまに誘われて足を運んだ講演会だった。そこで仕事や人生に向き合うマインドを問い直す話を聞き、心の中に小さな変化が芽生えた。もっと自分の可能性を追求し、もっとチャレンジしなくては。石濱は、視野を広げる学びを自ら重ねた。これからの人生をどう過ごすか考え始めた。
施工管理の仕事に誇りを持っている。だが10年、20年後も変わらず今の延長線上にいる自分の姿も想像できた。「それよりも数十年後に自分がどうなっているかイメージがつかない仕事をしたい。もっと広いフィールドへ出ていきたい」。強い気持ちが湧き上がってきた。
その頃、社内で告知された海外勤務の公募を見て、石濱は「いつか海外で働きたい」と新しい目標を見つけた。もし失敗して日本に戻っても、どこの部署でも働けるように、一級建築士、1級建築施工管理技士、1級土木施工管理技士、3つの国家資格を取得。造成から設計、施工まで、建設プロセス全体を俯瞰できる土台をつくった。
そうして準備を整えた石濱に、アジアで住宅事業を推進する人財公募という願ってもない機会が巡ってきた。面接を待つ控室には、留学経験者や帰国子女だろうか、英語が堪能な社員たちが並んでいた。一方、当時の石濱は全く英語が話せなかった。「これは、だめだな」。
それでも面接では真っ向から気持ちを伝えた。「もし今回チャンスをつかめなくても、また必ず挑戦します」。選ばれたのは2人。石濱はその1人としてアジアへ赴任した。
意気揚々と向かったアジアだったが、すぐに壁にぶつかった。日本のやり方を持ち込んでも、相手は動かないと痛感した。自分たちにとっては「標準」の品質や工程管理の話をしても、相手が知らなければ伝わらない。言葉だけに頼らず、簡単な図やスケッチを描いて、伝えたいことを「見える化」した。これなら英語を多少間違っても理解してくれる。実際に効果が出ると、信頼も積み重なっていく。この石濱流のやり方が、後にアメリカの3社をグループ購買へ動かす力となった。
現在の赴任先、米国テキサス州ヒューストン
日々を過ごすテキサス州最大の都市
エネルギーを感じる大都市のダウンタウン


見える化でみんなの迷いを消す
アジアの後、赴任したアメリカでは、グループ購買の火が消えかけていた。石濱は、スタンレー・マーチン社の日本人駐在員 上田とともに「1年だけ待ってほしい」と粘り、猶予を取り付けた。
最初に取り組んだのは、3社が「グループ購買はうまくいかない」と語る現状を理解することだった。アメリカは国土が広く、面積は日本の約26倍。現地の大手ベンダーは、遠距離配送の負担を減らすため、地域別に供給網を組んでいる。3社もそれぞれの地域で仕入れやすい資材を優先していた。
コロナ禍のサプライチェーン混乱も尾を引いていた。「もし仕入れ先を一本化して欠品したら?」「値上げされたら?」と不安は根強い。地域で関係性を育んできたベンダーと安定した取引を続けたい気持ちもよくわかる。
それでも石濱は、グループ購買にこそ勝ち筋があると確信していた。「量を買えば買うほど、ボリュームのパワーが生まれ、金額も安くなる。それは日本でもアメリカでも変わらない」。量の集約が交渉力を生み、好条件を引き出す。「アメリカで事業を広げるなら、グループ購買を手がけない理由はない」。
3社に納得してもらうには、現状分析と導入効果を可視化する必要があった。石濱は、3社の購買先であるベンダーの情報整理に着手した。グループ入りしたばかりの子会社もあり、情報は簡単にはそろわなかった。大和ハウスグループでは、グループ入りした最初の数年をPMI(統合プロセス)期間と位置付け、企業風土や文化の統合を優先し、経営には深く踏み込まない。半年以上を要して、全ての情報を集約した。
そして、3社の購買責任者が集まる会議で、重複するベンダーを色分けし、組織の関係や手続きの流れを図で提示。「グループで共同購入を働きかければ、契約条件は良くなるはずだ」と説明した。論点が整理され、効果が見えると、意思決定のスピードは早い。「合理性があるなら参入するよ」「ベンダーとの交渉は、うちが行こう」。停滞していた空気がついに動き出した。
追い風も吹く。スタンレー・マーチン社が開催した仕入先100社ほどが集まる会合に、同社購買責任者のマイクの後押しもあり、トゥルーマーク社とキャッスルロック社、石濱たちも招かれた。その場で「これからグループ購買を推進します」と挨拶し、一気に認知が広がった。
北米最大級の住宅建築業界見本市「IBS(NAHB International Builders’ Show®)」にも3社で訪れ、ビルダーのブースを数十社回り、グループ購買を交渉した。
猶予期間の1年はいつのまにか過ぎ、2年目、3年目を迎え、グループ購買に応じてくれるベンダーは段階的に拡大。連携によるシナジーが、構想から実装へと歩みを進めた。
キャッスルロック社が入るオフィスビル
英語は苦手だが笑顔と勢いで乗り切る
取引先のベンダーと協議を重ねる


信頼の仕組みを構築する
時々、日本の同業他社から「大和ハウスさんは、なぜグループ購買が成功したんですか?」と尋ねられる。石濱は「成功?いつも失敗しているイメージしかないですよ」と苦笑いだ。もし違いがあるなら、「技術とオペレーションを理解している大和ハウス工業だから」かもしれない。各子会社には、現場の技術やオペレーションに精通した人財が駐在している。調達から物流、設計・施工までの実務がわかる人間がいるから、他社の投資部門や商社とは違う目線のスキームが描けたのだろう。
石濱や上田たち日本人駐在員の役割は、ローカル社員と日本人駐在員が互いに学び合い、同じ前提で議論できる環境を整えることだった。現場主義やスピード感、現地の文化を尊重しながら、各地域が主体的に判断し、動ける体制づくりを支えた。
なによりもグループ購買が機能した背景には、地域に根を張る現地3社が主導し、それぞれの判断で自走したことがある。共通の考え方や枠組みを共有した上で、現地チームが実行してくれたことで取り組みが軌道に乗った。
グループ購買の契約が増え始めた頃、石濱はチームメンバーに成果を報告したことがあった。その話を聞いたスタンレー・マーチン社の購買担当者が、すぐにメールを送ってきてくれた。「やったな!これまで頑張ってきたからだね」。
石濱はこぼれそうな涙をこらえた。アメリカに来て、正解も成功も見えないまま、プレッシャーに押しつぶされそうになりながら走り続けてきた。見てくれていたんだ。この人たちに支えられて、ここまで来たんだ。
尊敬するキャッスルロック社の上司、アランにも助けられた。彼は自分に厳しく、規律正しく、最大限の利益を追求する人だ。「この人は全米のベンダーを知っているんじゃないか」と思うほど、顔が広い。アメリカは転職が当たり前。人脈が次の仕事や条件に直結する。だからこそ人との関係づくりが重視され、成果を出せなければレイオフも即断される。アメリカの厳しさと優しさを体現するアランから、石濱はビジネスのあり方を日々学んでいる。
石濱はアメリカで、ファーストネームの「寛之」を縮めて「ヒロ」と呼ばれる。アランは「ヒロがチームに加わると聞き、彼がキャッスルロック社での私の意思決定にどんな影響を与えてくれるか楽しみでした」と語る。
「正直、最初は彼がどう貢献できるのか見えていませんでした。でもすぐに、分析や比較データづくりに非常に強いことが分かり、さまざまなプログラムや契約で、どれだけコストを削減できたかを整理してくれました。取引業者との交渉でも、どの質問をどのタイミングで投げるべきかを心得ている。私たちは互いに多くのことを教え合っています。これからも長く彼と一緒に働けることを楽しみにしています」。
仕事を離れ、肩の力を抜く時間も必要だ。アランとは休日、一緒にジョギングやロードバイクを楽しみ、メジャーリーグを観に行くこともある。グループ会社の日本人駐在員ともバーベキューなどで集まり、仕事を離れた場でも交流を深めている。
振り返れば、海外への挑戦を決めた時は「技術者なんだから、やめておけ」と周囲の全員に心配された。それでも自分を信じて踏み出したから、今がある。グローバル購買も、そうだった。可能性を信じたからこそ、現地の3社やベンダー、日本人駐在員が同じ価値観を共有して進む信頼の仕組みができあがった。
石濱は、次の目標も見定めている。日本の社員が海外で働くチャンスを増やすため、今、海外にいる自分たちが結果を出す。いつか技術や購買だけでなく、BIMやソフトウェア、環境など皆の知見を持ち寄り、さらなるシナジーを生み出していく。大和ハウス工業は、もっとグローバルな企業になっていける。
若手社員にも期待を寄せる。海外事業に関心があるのなら、迷いながらでもいい、外に出てみてほしい。日本と海外、双方の良さも足りなさも知る人間は、強い。その視点が、人と人、会社と会社をつないでいく。
「今一歩踏み込め」。そうだ、創業者のように恐れず踏み込め。道は、動いた人の前にだけ、拓けていく。
尊敬する上司からビジネスを学ぶ日々
日本人駐在員とバーベキューで息抜き
これからも前へ走り続けていく
※掲載の情報は2026年3月時点のものです。
