
スポーツが人をつなぐ— 共に育み、共に生きる —
スポーツの世界には、選手だけでなく、競技を支えるさまざまな人々の存在があります。試合の勝敗だけでなく、スポーツを通じて生まれる交流やつながり、そして信頼関係が、人を育み、地域や社会を動かす原動力となります。
大和ハウスグループは、「共に創る。共に生きる。」という基本姿勢に立ち、スポーツを通じた人づくりと場づくりを支援してきました。みらい価値共創センター「コトクリエ」もまた、多様な体験や対話を通じて、年齢や立場を超えて人々がつながり、社会と共に人財を育む場として歩み続けています。
今回のDIALOGは、その「コトクリエ」を会場に、大和ハウス工業アンバサダーで、柔道家の野村忠宏氏らによるふれあい型柔道イベント「Daiwa House presents 野村道場 FUN TO JUDO Vol.3」の開催にあわせて行いました。対話の相手は、2026年3月に新たにアンバサダーに加わったプロゴルファーの森田理香子選手です。
競技者から指導者・プロデューサーへと活動を広げる野村氏と、賞金女王として頂点を極めながら一度ゴルフから離れ、再び競技の世界に戻ってきた森田選手。それぞれの競技人生の中で体験してきたことや、次世代育成をはじめとするアンバサダー活動のこれからについて語り合いました。
- ※本稿は2026年6月取材時点の内容です。
CONTRIBUTORS
今回、対話するのは...
「楽しい」柔道からはじめる次世代育成
アンバサダーとしても精力的に活動
野村 忠宏
柔道家
株式会社Nextend代表取締役
大和ハウス工業 アンバサダー(ハート大使)
柔道男子60kg級でアトランタ、シドニー、アテネで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成。2013年に弘前大学大学院で医学博士号を取得。 現役引退後は、自身がプロデュースする柔道教室「Daiwa House presents 野村道場」、を開催する等、国内外にて柔道の普及活動を展開。2025年1月からは目黒区青葉台に、鍼灸接骨院とピラティススタジオを併設したコンディショニングラボ「Nom-Lab.(ノムラボ)」を設立し、ウェルネス事業に取り組む経営者としても活躍している。2025年4月に大和ハウス工業の創業70周年を記念しアンバサダー(ハート大使)に就任。国内外の事業所や現場を訪問しながら、精力的に講演活動を行っている。
休養を経てツアーに復帰
ゴルフの普及活動など新領域にも挑戦
森田 理香子
プロゴルファー
大和ハウス工業アンバサダー(ハート大使)
京都府出身。8歳からゴルフを始め、アマチュア時代はナショナルチームで活躍。2008年にプロテスト合格後、13年には賞金女王に輝いた。18年シーズン後に休養を宣言した。女子ツアー解説などを経て、2024年にツアー復帰。2026年3月より大和ハウス工業とアンバサダー(ハート大使)契約を締結。様々なイベントを通じたゴルフの普及活動などにもチャレンジしている。
対話のダイジェストと
「FUN TO JUDO Vol.3」の動画はこちら
※本稿に掲載した各コメントは、対話者の経験に基づく個人の感想です。
INDEX
今回のPOINT
最初から結果を出せる選手ではなかったという二人。好きだから練習を重ね、その先に気づいたのは、自分を支えてくれていた存在の大きさでした。その経験を力に、次の世代を育てようとしている二人の対話を通じて、生きる力を育むヒントを、一緒に考えてみましょう。
1.自分で選んだ道だから、
自分の生きる力になる
自分の生きる力になる
競技との出会いと、自分の選択
森田:私は、祖父がゴルフ練習場を営んでいたこともあって、初めてのゴルフは遊び感覚でした。そのうち、ゴルフがどんどん好きになって、小学校3年生から本格的に練習をするようになりました。
祖父は、私のゴルフへの興味を知ると、「そんな甘い世界じゃない」とずっと反対していました。自分がやりたいからやるという気持ちがあったし、祖父の目を盗むようにして練習場に通い、こっそり練習していましたね。
野村:うちも祖父が柔道の道場をつくって、3歳から兄と一緒に始めました。おじいちゃんは柔道の先生だったけれど、子どもに厳しい練習を押し付けることはせず、「楽しい柔道」を教えてくれました。柔道の基本と礼儀、これをしっかりと学びながら、柔道を「好き」になってくれたらいいと。試合に負けて怒られることも一切なかった。
柔道以外にも、サッカー、野球、水泳といろいろなスポーツを経験しましたが、得意と言えるものは無かったです。でも、柔道だけは本当に好きだった。それで、中学に入るときに自分で柔道一本に絞ろうと決めました。やらされていたわけじゃなく、自分が好きで選んだという感覚が、その後もずっと柔道への原動力になっていると思います。
森田:私もそうです。最初はゴルフの球にも当たらないくらい下手でしたが、それが悔しくて、地道に練習を続けていました。中学生になって飛距離がだんだん伸びてきて、高校生になるとナショナルチームに入りました。世界ジュニアや世界アマチュアのような、大きな大会にも出させてもらうようになり、高校を卒業した18歳でプロになりました。
好きだから、あきらめない、
だから続けられた
野村:中学生になると、楽しさだけでなく、強さを求めるようになって。それで、電車通学で「強い柔道」ができる中学に通いました。それでも、最初の試合は同級生の女の子に1回戦で負けてしまったし、高校に入るときも父親に「無理して柔道せんでいいぞ」と言われるくらい全く勝てなかった。
勝つ喜びも、期待されるプレッシャーも知らない選手だったので、逆にそれが欲しかったんだよね。悔しくて、寂しくて、何とかして柔道で自分の未来をつくるんだという、あきらめの悪さのようなものがあったのかなと。
森田:なんだか安心しました。私も、プロ1年目から6戦連続で予選落ちして、何もできないままシーズンを過ごしたことがありました。悔しいとは思っても、ゴルフが嫌いになることは全くありませんでした。好きだからこそ、続けられたと思います。
野村:そうだよね。そこまで真剣に思えるのが柔道しかなかった。諦めたら自分には何もない、という思いでした。
2.迷いながら気づいた、
支えてくれる人の存在と
本当の自分
支えてくれる人の存在と
本当の自分
迎えた転機と家族の存在
森田:私の父はプロではありませんが、ゴルフをします。難しさを知っている分、娘の成績が悪くても「あかんかったか。次、頑張りや」というような優しいお父さんです。でも母はゴルフをしないので、「負けたんなら、もっと練習しいや」というようなパワータイプでした。
賞金女王をとってから、だんだん周りの視線を気にするようになり、ゴルフがきつくなってきた時期がありました。一度プロを休もうと決めたとき、両親にきちんと伝えないといけないと思い、「苦しいからちょっと休ませてほしい」と話したんです。
そうしたら、いつも厳しかった母が「ゆっくり休み。頑張ったんだから」と言ってくれました。
野村:お母さんはゴルフの技術は知らなくても、厳しい勝負の世界で生きるなら厳しく、と考えて育ててくれていたのでしょうね。
森田:愛情だったと思います。強い母と優しい父がいたから、私はここまでやってこられたんだなと、そのとき改めて感じました。
野村:愛情だったけど、本人の心の苦しさを理解した上で、受け入れてくれたというのは、素敵なご両親ですね。
自分は父親も柔道の先生だったんですが、息子に対して、直接指導することはほとんど無く、進学先の柔道部の先生に全て委ねるというスタンスでした。年に数回、一言二言もらうだけで。父親と面と向かって柔道の話をしたのは、30代後半になってからでした。ドキュメンタリー番組の密着テレビ取材がきっかけでしたが、ちょうどそのころは年齢的にも引退を考えだす時期でもあって。思いのほか長い時間をかけて話をしました。そのとき初めて、父親の思いが見えたように感じたことを思い出します。
森田:そういう話って、この歳になって初めてできることですよね。私も20代のときは、とてもそんな余裕はなかったです。
休むことで再発見した、
支えてくれた人たちと本当の自分
森田:ゴルフを休んでいる間は、本当に何もしない時間を過ごしていました。でも、すぐに物足りなくなってしまって。知り合いに誘われてプロを目指す若い選手たちの試合で解説をしたとき、きらきらした目でゴルフをしている彼女たちの姿を見て、「いいな」と思ったのです。
そのとき、ゴルフしかないのだということを改めて感じました。それが、もう一度やってみようと思ったきっかけでした。
野村:自分も1年間柔道を休んで、それでも心が定まらず、柔道が盛んではないアメリカに行きました。最初はのびのびできてよかったのですが、3ヶ月ほどしたらライバルたちの活躍が気になってきて。現役としてトップを目指せる時間は今しかない、そう気づいたとき、戻ろうと決めました。
森田:離れてみて初めてわかること、ありますよね。
野村:競技への渇望もそうですが、緊張感とか、期待されるということも、実は自分が求めていたものだったんだということに、離れてみて気づくことができた。
個人競技だけど、柔道は絶対に一人ではできない。練習相手がいて、支えてくれるスタッフがいて、応援してくれる人がいて、そしてライバルがいて、初めて自分は柔道ができる。誰かの支えなしには、何もできないのです。
森田:私も、休んでいる間にイベントなどで「まだできるよ」「戻ってきてほしい」と言ってくれる人たちの存在がとても力になりました。見ていてくれる人がいるということが、どれだけ支えになるか。ゴルフも個人競技で孤独に見えますが、周りの人に支えられているんだということが、休んだからこそわかったことだと思います。
3.アンバサダーとして、
場をつくり、学び合う
場をつくり、学び合う
子どもから大人まで、共に育む
——FUN TO JUDOが大切にしていること
森田:今日は、いま私たちがいるこの「コトクリエ」を会場に、「野村道場 FUN TO JUDO Vol.3」を開催されると伺いました。野村さんは、どんな思いでこのイベントを始められたんですか?
野村:自分は、大和ハウス工業の創業者である石橋信夫氏と同じ奈良県出身ということもあり、何とか活動を応援してもらえないかと考えて、イベント企画をプレゼンしたのが始まりです。そこから、子どもたちを対象に柔道を指導する「野村道場」に特別協賛してもらうようになりました。
今日開催する「野村道場 FUN TO JUDO」はそのスピンオフのような感じです。子どもから大人まで、柔道の経験がない方も含めて、全員に柔道衣を着てもらって、楽しみながら畳の上で交流を図ることを大切にしています。技術を追求するというよりも、柔道の「精力善用」と「自他共栄」——相手を敬い感謝すること、そしてお互い信頼する心を育みながら、共に栄えある世の中をつくっていこうという基本理念を、このイベントを通じて自然と体験し、学んでもらえる場をつくりたかったのです。
森田:大人も参加できるんですね。
野村:これまでは、保護者は見ているだけという方が多かったので、一緒に体を動かして交流できる場にしたいと考えました。柔道の「礼」というのは形だけじゃなくて、練習相手や、先生、親御さん、取り巻く環境などに、ありがとうございます、という感謝の気持ちであることを子どもたちに言葉で伝えるようにしています。子どもにどれだけ伝わっているかはわかりませんが、柔道の精神を、子どもを通じて、大人にも伝えたいと思っています。
森田:今の話、自分にもすごく響くものがあります。私自身、子どもに教えるとき、言うだけではなくて「自分自身もしっかりしないと」、と自分に言い聞かせながら、子どもたちの親にも伝えたいという思いがあります。
「野村道場 FUN TO JUDO Vol.3」当日のひとコマ。年齢・経験を問わず参加できる「ふれあい柔道教室」では、野村氏をはじめとするオリンピック金メダリストや世界王者からの指導に、楽しみながらも真剣な表情で取り組む参加者の姿が見られた。トークショーやプレゼント抽選会など、観覧者も楽しめるプログラムも充実していた。詳しくは、公開中の開催レポートを参照。
対話の後、「野村道場 FUN TO JUDO Vol.3」を見学する森田選手。「礼に始まり礼に終わる」という礼儀を重んじながら、全員が楽しむことを最優先する野村氏の指導スタイルに強く共感していた。「ゴルフの次世代育成においても、挨拶や礼儀、思いやりを伝えながら、子どもたちが多様な大人と触れ合いながら心から楽しめる場づくりを目指したい」と話してくれた。
アンバサダーとしての新しい活動
アンバサダー活動では、野村氏が全国各地の大和ハウスグループ支社を訪問し、社員を対象とした講演会をするほか、各社が手掛けるプロジェクトや物件の現場を視察している。活動の様子は大和ハウスグループ公式YouTubeチャンネルでも配信中。
野村:2025年度からは、大和ハウス工業のアンバサダーとして活動しています。全国の営業所や支社を年間20か所ほど訪ねて、社員の皆さん向けに講演したり、逆に大和ハウス工業が各地域で取り組んでいることを学ぶ機会もあります。かつて開発し、今では高齢化が進んだ団地を、もう一度活性化させようと取り組んでいる地域や、新たにつくられた美術館や水産市場などを訪問したこともありました。これまでの柔道の世界では出会うことのなかった人たちと関わりながら学び、新たなつながりもできるようになりました。とてもうれしいし、楽しい活動になっています。
森田さんは、今年(2026年)からアンバサダーになられて、今後の活動に向けて何か決まっていることはありますか。
森田:私は、やはりジュニア育成に関心があります。これまで経験してきたことを、次の世代に伝えていきたい。技術もそうですが、いい思いもしたし、苦しい思いもしたし、ゴルフから離れた経験も含めて、これからプロを目指す子たちに知ってもらえたらと考えています。
森田:個人の活動としては、ゴルフを好きになってもらいたいという思いから、自然の中で楽しみながらゴルフを体験できる子ども向けのキャンプ合宿も始めています。また、ゴルフはジュニアだけでなく、シニアでもできる競技なので、年配の方にも教えていけたらとも思っています。
野村:大和ハウス工業には、グローバルに多様な取り組みがあるので、ゴルフという枠を超えた、新しい分野でのチャレンジをしてみるのも、人生勉強としてはいいかもしれないですね。
勝ってみせることが、みんなの勇気になる
野村:もうひとつ、次の世代に伝えていくという意味では、プロとしてもう一回優勝したら、もっと言葉に説得力がでるよね。輝く姿を見せたら、みんなが勇気を感じて、喜んでくれる。
森田:はい、そうなんです。だからこそ、頑張らなきゃいけないと思っています。でも、本当に厳しい世界だと改めて感じています。ネガティブになったり、いつも不安しかないです。
野村:ネガティブな部分も大事です。自分もそうだけど、緊張する場面で自分を出し切るために、何をしなければならないか、ビビりだからこそ明確に何をしなければならないかを見極めることができる。それをやり切ったら、ネガティブを自信に変えるスイッチを押して、正々堂々と戦う。
もちろん、それでも負けることはあります。でも、負けたときの敗因や失敗した理由をまた自分で探して、先輩や師匠や仲間にアドバイスをもらいながら、今度は答えをつくっていくという成長の過程が、すごく意味のあるものだから。現役として歩んでいる間はとことん結果にこだわっていけば、その歩みも絶対に価値のあるものになると思っています。
森田:結果が出たとき、自分のやり方が評価される。認めてもらえるんですよね。
野村:そうです。そしてひとつの好きな道を追求するなかで、さまざまな人に出会える。柔道を通じて本当にいろいろな人生の勉強ができたし、それが競技を続けることの意味だったと、今は思います。
今回こうやってアンバサダー同士という縁をつないでもらえたのも、大和ハウス工業あってのことだし、活動を応援してくれている皆さんの存在は、心の支えの一つになっている。
森田:自分自身の技術の向上と、いろんな方に勇気を与えられる存在になれるように、日々努力していきたいです。そして、誰かのためにゴルフを通じて伝えられるものがあればと思っています。
今日は、野村さんと初めてお会いして、自分と似ているなと感じる部分がある一方で、悩みながら、戦いながら競技と向き合い続けてきた姿に、自分以上の強さを感じました。努力してきた人の言葉には重みがあることを改めて実感しましたし、私ももっと頑張れる、頑張らなきゃという気持ちにさせてもらえました。今日、野村さんにお会いできて、本当によかったです。
野村:お互いにアンバサダーとして、これからよろしくお願いします。森田さんの試合にも行って、プレッシャーをかけまくりながら、応援したいと思います(笑)。
4.まとめ
「休む」とは、次の挑戦に向かう道のはじまり。
異なる分野での新しい学びを、次の成果につなげていこう。支え合い、共に育むことを、共に生きる力に変えていこう。
異なる分野での新しい学びを、次の成果につなげていこう。支え合い、共に育むことを、共に生きる力に変えていこう。
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5.対話をつなげよう
大和ハウス工業株式会社
サステナビリティ統括部
価値共創グループ長
兼 みらい価値共創センター長
川島 英彦
「野村道場 FUN TO JUDO」の会場となったコトクリエでは、この日、子どもたちや保護者、地域の方々、高校生ボランティア、そしてトップアスリートまで、多様な人々が一つの場に集いました。そこには年齢や立場を超えた数多くの対話が生まれていました。
今回の対話で印象的だったのは、野村さんと森田さんが、それぞれの競技人生を振り返りながら、「自分を支えてくれた人の存在」や「好きなことを続ける力」について語られていたことです。異なる競技の話ですが、その背景には、多くの人との出会いや対話を通じて成長してきた共通の歩みがありました。
コトクリエが大切にしている「共育」とは、教える人と学ぶ人を分けるのではなく、互いに学び合い、高め合うことです。そして「共創」とは、多様な人が対話を重ねながら新しい価値を生み出すことです。今回のイベントは、まさにその実践の場でした。
社会が複雑になる時代だからこそ、自分とは異なる経験や価値観を持つ人との対話が、新たな気づきや挑戦への一歩につながります。コトクリエはこれからも、対話を通じて人と人、人と地域、人と未来をつなぐ場であり続けたいと思います。





















